おはようございます太陽

 

今、両鼻の穴にティッシュ詰めています。

歯も、下段の奥歯が両方痛くなってしまい

そこから強い肩こりで困ってます。

歯医者も行ったし(レントゲンで異常なし)

カーブスもいったけど、良くならないの

 

笑ってもらっていいんだけど

私娘の頃、60代で亡くなるような気がしてたんだけど

こんなに調子がわるいと、もしかして本当にそうなのかな~とか思っちゃう。

 

でも多分60代で亡くなると、犬猫を見送れないから

何が何でも頑張って生きるつもりですよ。

 

 

真顔今日は母に想うことだけを書いたので、興味が無い方はまた次回お越し下さいね。

 

 

60代の頃の母を思い出すと、お金持ちじゃなかったけど3B体操とか詩吟とか習ってエンジョイしてたな。

夕刊に載ってる日帰り旅行とか、夫婦でたくさん行ってたな。

バブルの頃は海外にも行ってた。

 

今の自分にはまったくできないことばかり、母は恵まれていたんだな

時代も、良い時代だったんだな。母は美人でした、私は全くの父似で、母がうらやましかった。

 

私は一人っ子で、ネグレクト気味に育ったので

寂しくて

その裏返しで思春期からは母が嫌いでたまらなかった。

 

思春期になったら、母の人として、女としての部分も見えるようになってくるから

余計に嫌いになったのかもしれない。

 

母はいつも自由を感じる人だったから。

別にキテレツな動きをする訳ではないし

父の重圧からは逃げられない人だったけど

父が母をかわいがって、いろんな物を与えたり、好きにさせているところがあったので、母はそれを享受してた感じ。

 

母が自由人であることは孫達(私の息子)が大きくなってきたら

息子達も気がついて、よく母の面白いところが話題になった。

 

実家の冷蔵庫の中が魔窟すぎて開けるのがコワイこととか

使い方もよくわからず台所のコンロを電気に変えて、その後コンロを爆破させたこととか(火事にはならなかった)

父に隠れて一室で猫を飼ったり

私が「前髪を少し切って欲しい」と言ったら、母がおでこの上までジグザグに切ってしまったこととか(私は30代)

自分が嫌いな家事はいつも私を呼んでこき使っていたこととか(汚くしてると父が怒るから)

あげればキリががないほど。

それでもいつもケラケラ笑っていた。

私は「きらい」と思いながらも、子供が私しかいないから、仕方なく実家と付き合っていた。(息子達にもそんな姿見せられないから淡々とね)

 

父が逝ってすぐ、そんな母が認知症になって

いろんなトラブルから、うちで引き取るしかないと思った時、嫌だなあと一番に思った。

 

だから同居のはじめは母が認知症なのにもかかわらず、衝突しまくった、だっていつまでも身勝手なんだもの。たばこもやめられないしね。

 

途中軽い脳梗塞をおこして入院したり。脳出血で朝見に行くと床で倒れたり

治療してなんとか家に戻ってきたときにはもうひどい認知症になってた。

私は入院中は毎日病院に通った。

 

認知症が進んで不安そうな母をみてようやく私のわだかまりは溶けた。

毎日すすむ症状に驚かされたり悲しくなったけど

母を看てあげたいという気持ちになっていた。

 

他人から見て、気の毒なほどの認知症になったけど

私は母がす~っと夢の中にいる気がして

とくにうちにいる最後らへんは

「旅館に泊まっている」とずっと思ってた、私は仲居さんと思われていた。

だから「いつ帰るのですか?もう帰りたいです」と顔を合わすごとに言われてた。

私は仲居さんとしてあれこれ理由をつけて家にいてもらった。

 

脳に良いかもと思う、家でできることはいろいろ試したけど、何も良くはならなかった。

 

だけど、母はずっと自由なまま、天に帰って、またかわいがってくれる父とあちこち美味しい料理旅館にとまりに行ってるんだと思う。

 

お仏壇に母の好きなコーヒーを供えながら、いつもそんなことを思う。

 

来月祥月命日だと思うと、こんなことを思い返してしまいました。