こんにちはくもり

 

私の父は大正15年生まれで、89歳で亡くなりました。

 

本当に昔人間で、子育てとか、特に女の子を育てるなんて

全くどうしたら良いかわからなかったのでしょうねぇ

 

小さかった私と出かけた時によく父が歌ってくれた歌が

「箱根八里」でした。

 

『箱根の山は~天下の嶮~ 函谷関も 物ならず~』

私の手をにぎって、大きく振りながら

この歌を元気よく歌って

山道を歩いたものです(月に1度、体が弱かった私と、父と二人で山歩きしました)

(ちなみに、父は軍歌は嫌いで全く歌わなかったです)

 

私は意味が全く分からなかったし

何言ってるのかもわからなかったけど

怒り「はっこねのやっまは~ てんかっのけ~ん」と

そこだけ、歌っていました。

 

そんなことを、突然思い出したので

この曲の現代語訳が知りたいなぁと思いました。

 

こちらのサイトに解説がありましたので

転載させていただきます。詳しくお知りになりたい方はサイトへどうぞ。

 

まずは歌詞は


箱根の山は 天下の嶮(けん)

函谷關(かんこくかん)も ものならず

萬丈(ばんじょう)の山 千仞(せんじん)の谷

前に聳(そび)へ 後方(しりえ)に支ふ

雲は山を巡り 霧は谷を閉ざす

昼猶闇(ひるなほくら)き 杉の並木

羊腸の小徑は 苔滑らか

一夫關に當るや(あたるや) 萬夫も開くなし

天下に旅する 剛氣の武士(もののふ)

大刀(だいとう)腰に 足駄(あしだ)がけ

八里の岩根(いわね) 踏みならす

かくこそありしか 往時の武士

 

鳥居忱の作詞、瀧廉太郎の作曲による。

1901年(明治34年)に発行された「中学唱歌」に初出の唱歌である。

先に歌詞が公表され、曲は懸賞募集がかけられたが、鳥居の作った詞は曲を付けるにはあまりにも難しく、多くのベテラン作曲家がしり込みする中で、東京音楽学校を卒業して間もない瀧が作曲に挑んだそうです。

 

中国:函谷關(かんこくかん)の復元

 

現代語訳(上記サイトより)

箱根の山は 天下の嶮(けん)
箱根の山は 天下有数の険しい難所

函谷關(かんこくかん)も ものならず
中国の関所・函谷関(かんこくかん)さえ比べ物にならない
(注:函谷関=長安の東、洛陽の西にある関所)

萬丈(ばんじょう)の山
非常に高い山
(注:1丈は10尺(約3.3m)。それが数万倍という例え。千客万来などと同じ。)

千仞(せんじん)の谷
非常に深い谷
(注:1仞は約6尺(2m弱)。それが数千倍という例え。)

前に聳(そび)へ 後方(しりへ)にささふ
高い山が前にそびえ立ち 深い谷が後方を支える

雲は山を巡り 霧は谷を閉ざす
雲が山をかすめて流れ 霧が谷に立ち込める
(注:雲海の可能性も考えられる。)

昼猶闇(ひるなほくら)き杉の並木
昼でもなお暗い杉並木

羊腸の小徑は 苔滑らか
曲がりくねった小道は 苔むして滑りやすい
(注:「羊腸の」は、曲がりくねった様子を山羊や羊の腸に例えている。)

一夫關に當るや(あたるや) 萬夫も開くなし
一人の兵士が関所を守れば 万もの兵が攻めても落ちない
(注:難攻不落の関所であることを誇張する例え。)

天下に旅する剛氣の武士(もののふ)
国中を旅する不屈の武士

大刀腰に足駄がけ
大刀(たち)を腰に差し 足駄(高い歯の下駄)をはいて

八里の岩根 踏みならす
岩だらけの八里の道を 下駄を鳴らして進む
(注:一里は約3.9km(日本)。ちなみに中国では500m。)

かくこそありしか、往時の武士
昔の武士は そのような格好や振る舞いだった

 

※この歌は1番が昔の箱根八里、2番が現在(明治時代)の箱根八里を歌ったものだそうです。

 

真顔中国ドラマ三国志や歴史ドラマを見ていると良く出てくる「函谷関」がこの歌に出ていたのだと驚きました。

今の大河(光る君へ)にも清少納言の孟嘗君伝引用で出てきましたね。

当時は中国の漢詩を良く知ってることが博識とされていました。

 

孟嘗君伝とは、斉の国の孟嘗君が使いとして秦の国を訪れた際、昭王に捕らわれて殺されそうになったので逃げ出し、函谷関の関を鶏の鳴き真似で騙して通り(関所は、毎日ニワトリの泣き声で朝だと確認して、関をあけていたそうです)、無事帰国したという有名な話です。これは『史記』所収の故事ですが、『十八史略』にも引用されています。

 

ニヤニヤそうか、大河ドラマで「函谷関」を聞いて、この歌を思い出したんですね~納得。