今朝、見つけた『ダイヤモンドオンライン』に
100歳になられた作家の佐藤愛子さんのインタビューが掲載されていました。
少し長文になりますが抜き書きにてご紹介いたします。
まず佐藤愛子さんの経歴は(wikiより)
佐藤 愛子は、日本の小説家。
生年月日: 1923年11月5日 (年齢 100歳)
大阪市生まれ、西宮市育ち。
小説家・佐藤紅緑と女優・三笠万里子の次女として出生。
異母兄に詩人・サトウハチローと脚本家・劇作家の大垣肇。
甲南高等女学校卒業。
1969年(昭和44)、佐藤愛子が45歳のとき 小説『戦いすんで日が暮れて』 で、直木賞を受賞
直近のお写真のようです、お若い!
どのように死ぬか?100歳の直木賞作家、佐藤愛子の意外な答え 特別インタビュー
損をしないようにとがんばれば、生きにくくなるだけ。100歳を迎えた直木賞作家、佐藤愛子さんは現代人が損得勘定で動くようになったことを嘆く。作家として時代を捉え続けてきた佐藤さんが指摘する「日本人が変わった転換点」とは。さらに、「どのように死にたいか?」という問いにも驚きの死生観を披露してくれた。
損得に一喜一憂するのは 下衆な人間
――佐藤さんはお金には……。
まったく執着しません。約束の講演料がいただけなくても、「ああ仕方がないな」とすぐに諦めてしまいます。
――それはちゃんと相手に言って請求したほうがいいのでは(笑)。
損したとか得したとか、そういうことにもまったく興味がないのです。もう幼いころからですね。家に遊びにきた友だちが、私の部屋にあるものを気に入って「これいいね、ほしいな」と言うと、すぐに「いいよ、あげるよ」というような子どもでした。
――それは性格ですか。
性格なのかもしれませんが、それよりもやはり父の影響が強いのだと思います。
父は訪ねてきた人が帰ると、「あれはダメな野郎だ、儲けることばかり考えている」というようなことをよく言っていました。損得に一喜一憂するのは下衆な人間だと軽蔑していたのです。
だから、家で私が「損しちゃった、得しちゃった」などと口にすると、そんなこと言うものじゃないとものすごく叱られました。
佐藤家だけではなく、学校でも先生が欲張りはよくないと教えていましたから、そういう時代だったのでしょう。
――現代人は損得を気にしすぎですか。
そう思います。生きていれば損をするのは当たり前のこと。
それなのに損をしないようにとがんばれば、生きにくくなるだけです。
――あまり損得に無頓着だと簡単に騙されそうですが。
騙されたっていいじゃないですか。
人生なんてそんなに大したものじゃないでしょ。
――でも、騙されれば後悔したり、騙した相手を恨みたくなったり、心中穏やかではいられませんよね。
私は別れた夫がつくった借金の返済のために、かなりの時間と労力を費やしましたけど、後悔なんてしていないし、相手のこともいっさい恨んでいません。
間の抜けたことをしたなとは思いますけど、その程度です。
人を信じてお金を貸したら、そりゃ返ってこないこともありますよ。
そういうときはそういうものだと思って、忘れてしまえばいいのです。
目に見えないものが 見えなくなった現代人
――なかなかそういう心境にはなれそうもありませんが。
だって、貸したらそのお金はもう自分の手を離れたのだから、執着してもしょうがないじゃありませんか。
もっとも私だって、お金を貸してくださいとやってきた人に、誰でも貸すわけではありません。
貸すか貸さないかを決めるのは自分の哲学です。
哲学は大事ですよ。哲学があれば貸すか貸さないか悩まなくてすむし、返ってこなくてもああそうかという気持ちでいられますからね。
――逆に損得で動く人のことはどう思いますか。
好きじゃないですね。小金を持った人が亡くなったとき、残された人たちが取り分をめぐって争うような話を耳にすると、実に不愉快です。自分で苦労して稼いだお金でもないのに、それこそ下衆な所業だと思いますよ。
明治のころは、お金に執着するのは卑しいことだという考え方を、多くの日本人がしていましたが、いまは逆に、お金を儲けて何が悪いって開き直っているでしょ。それがいけないとはいいませんが、自分はそうはなりたくないですね。自分の孫にもさすがに損する生き方を薦めはしませんが、儲かっても損をしても笑っていられるような、損得に振り回されず恬淡としている人間になってほしいとは思います。
――日本人はいつから損得に一喜一憂するようになったと思いますか。
やっぱり(太平洋)戦争に負けてからじゃないですか、自分の欲を前面に出してはばからなくなったのは。
戦前の日本ではどこの家庭にも神棚や仏壇がありました。
私の家でも、父が毎朝神棚の前で手を合わせ、母が毎月一日と一五日に木の枝をお供えしていたのを覚えています。
私は別に拝めともいわれなかったし、それにどういう意味があるのかもわかりませんでしたが、目に見えない存在に見守られているという意識はありました。
そういうものをないがしろにしないのが、品格のある暮らしだったのです。
いまはないでしょ、神棚も仏壇も。そうすると目に見えるお金がいちばん大事になるのでしょうね。
どのように死にたいか? 100歳、直木賞作家の死生観
――佐藤さんは、人の魂は死後も残ると思いますか。
さあ、どうでしょう。霊能者の人たちはいろいろなことを言いますけど、死んだ後のことは私にはわかりません。死んだらそれで終わりでいいんじゃないですか。
――では、こんな死に方をしたいという希望はありますか。
死に方を自分で選ぼうなんていうのは贅沢ですよ。戦争で散った若い人たちのことを思うと、自分がこんな死に方をしたいと考えることすら申し訳ない気がします。
もともとお金やモノには執着がないので、そっちは問題ありません。ただ、生きている間に喜怒哀楽の感情は整理しておきたいと思っています。悲しかったりつらかったりするのは嫌ですから。それにはもう少し修業が必要かもしれませんけどね。
――死ぬのは怖くはないですか。
怖いものですか。死ぬってこの世からいなくなることでしょ。すっきりして気持ちいいじゃない。
2024.1.11 12:00 ダイヤモンドオンラインより
まずしっかりされているのに驚きますね。
そして
今の若い人たちに伝えたいけれど、なかなか伝えられないことをきっぱりと話されていますが、どこか優しさも感じる内容でした(個人の感想です)