好きなシンデレラストーリーはある?

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こんにちは傘
 
雨なんですけど、町内会の防災委員である夫は
早朝より昼までの防災訓練に行っています(小学校の体育館)
 
夫とよく話すんですけど
うちの夫は60歳、定年となりましたが、最低あと5年、今の会社に勤めます。
なので防災委員と言っても、いざという時、自宅にいない可能性もあり
勤め先が神戸なので、帰宅困難者になって、なかなか帰れない可能性もあって
あまり役にたたないねと。
 
だけど夫は若い方で、ほとんどがあわや後期高齢者ばかりの防災委員だと
体力的に大丈夫なのかしら?と。
 
悩ましい問題ですね。
 
 
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玉の輿のお話と言えばシンデレラぐらいしか思いつかないオバはんニヤニヤなので
「玉の輿」の由来について調べてみました。
 
(wikipediaより)
玉の輿(たまのこし)は、女性が社会的地位のある男性や資産家の男性と結婚することにより、自分も社会的地位を手に入れたり裕福な立場になること。男性が金持ちの女性と結婚する場合は、俗に「逆玉(ぎゃくたま)」と呼ばれる。
 
京都西陣の八百屋に生まれたお玉説

玉の輿の玉とは、三代将軍徳川家光に見初められ、京都の西陣の身分の低い八百屋の娘として産まれたお玉が、当時、格も高く由緒もあった西陣の大店である本庄家に養女と出され、江戸まで輿に乗って嫁いだことから、玉の輿という諺が生まれたとされる。
現在もそのお玉を養女に入れた本庄家は存在し、本庄家のある京都市上京区芝大宮町の鉾は菊の御紋が入っている。
 
鉾は今宮神社に預けられていたが現在は町内会で管理されており、お玉の輿入れについても町内会が持つ本〈非売品〉にも記載されているとされる。
 
ただし史実では、玉(光子。桂昌院。)の養父の本庄宗正(北小路太郎兵衛)は商人ではなく、二条家の家司、いわゆる青侍(なまざむらい 貴族に使える武士)であり、玉の義兄も実弟もそれぞれ幕府に取り立てられており、商人ではない。
 
三代将軍徳川家光の側室となったお玉は、五代将軍となる綱吉を産んだ。
綱吉が将軍となった後に、官位は従一位となったが、これは春日局の従二位すら超えており、女性としては最高位である。
八百屋の娘が将軍の側室となることによってそのように登りつめたことより、玉の輿の語源はこのお玉だというものである。しかし、これは俗説である。
 

お輿(女乗物と言った)

女乗物の装飾
最上級の女乗物は、「黒漆金蒔絵女乗物」。本体を黒漆塗りで仕上げて、家紋や唐草模様などを蒔絵(まきえ)の技法で描いています。
そのうち、全面に金梨子地(なしじ:蒔絵のひとつ。漆塗りの面に金粉や銀粉を蒔き、乾燥後に梨子地漆を塗って、漆を透かして見せる技法。梨の皮に似ているためこの名が付いた)が蒔かれたものは、「徳川御三家」(尾張徳川家、紀州徳川家、水戸徳川家)に由来するもので、別格とされていたと考えられるのです。

蒔絵のモチーフとされたのは、家紋と唐草が一般的でした。その他、松竹梅に土坡(どは:小高く盛り上がった地面)、花菱(はなびし)に家紋といったモチーフもあります。

また、男性の「乗物」(高級な駕籠)では、漆塗りを施したりビロードや千代紙を貼ったりするなど落ち着いた内装となるのに対し、女乗物には華やかな装飾が施されます。主に花鳥画が用いられ、そのモチーフとなったのは、松竹梅や季節の花々。その他、鶴亀や「源氏物語」の場面などもありました。
江戸時代中期の大名婚礼調度。(仙台市)
福岡市 黒田家のお輿の内部