おはようございます曇り

 

昨日私はインフルエンザの予防接種をしました

5~6時間後に倦怠感と軽い熱っぽさを覚えて昨日はぐったりしていたんです(今朝はもう大丈夫です)

そしたらいつもより早く長男が帰ってきたと思ったら

風邪ひいたと

熱を測ったら39度5分でたまげましたゲッソリ

病院へは今日行かせますが、おそらくインフルでしょうねぇ

(彼はコロナも2度かかってます)

皆様もお気をつけてお越しくださいませね。

 

バス 車 バス 車 バス 車

 

最近また性懲りもなく『中国時代劇ドラマ』を見始めたんです。

その時ふと思いました。

 

中国時代劇ドラマは衣裳も見どころなんですが

いつから、「絹の服」を着るようになったんやろう??って。

 

早速調べてみると、とっても興味深かったので

シェアさせていただきますデレデレ

 

シルク(絹製品)の起源は?

シルクは、およそ紀元前の20世紀頃に中国で使われ始めたといわれています。中国の皇女は、当時繭で遊んでいた際に、繭をお湯の中に落としてしまいました。しかしそれを拾い上げるた時に糸を操ったことが、絹糸作りの最初と伝わっています。

また、殷・周・漢などの時代にできたお墓から蚕をモチーフに作られた模造がたくさん見つかっています。それほど昔から大切に扱われていた素材だということがわかります。

 

 

中国からどう広まった?

シルクを養蚕する技術は、中国で発達していましたが、中国は養蚕技術を秘密にしており、蚕や養蚕技術の国外持ち出しを厳しく禁じていました。

そのために、ヨーロッパではどうにかして入手しようとたくさんのエピソードがあります。(※)

中国からヨーロッパにつながる内陸交易路は、その交易の中心が絹であったことから「シルクロード」と命名されました。
その長い年月のうちに、蚕の卵や養蚕技術が漏れ伝わり、シルクロードに沿って世界に広まったようです。



日本においては、195年に朝鮮から蚕の卵が伝わったという記録が残されていますが。弥生時代の遺跡から絹の布が発見され、中国の歴史書にも邪馬台国での養蚕の記録があることから、遅くとも弥生時代の中頃には日本に養蚕技術が入ってきていたと考えられています。

 

(※)絹は、中国人がローマ人と金やガラス器と交換するのが一般的でした。 当時の中国にはガラスを吹く技術や技法は知られていなかったので、喜んで貴重な布と交換したのです。

 ローマ人の貴族階級は絹をガウン用に高く評価していたので、取引が始まってから数年後には、余裕がある人たちが好んで使う布となったのです。

 

シルクロードのおかげで伝わった、シルク以外のものの一つに「仏教」があります。そのほかには野菜や果物の種です、リンゴや桃、ブドウなどはシルクロードの交易がなければ日本で育てて食べることは不可能だったのです。他には紙や火薬もありますね。

 

日本の絹織物 西陣織

 

シルクQ&A

 

国産のシルクってあるの?

 

日本国内にあるシルク製品の生産元は、約10%程度で、主な輸入元は中国やブラジルとなっています。

国産のシルクは生産のコストが合わず、国内の養蚕家が少なくなってきており、純粋に国内で産まれる絹糸はなくなってしまう可能性も少なくありません。

 

絹って結局何なの?


絹は、フィブロインというたんぱく性の糸で作られた繊維です。

人間の皮膚に近い成分です。

絹は、吸放湿性が綿の約1.5倍も優れているので、常に快適な環境でお肌をサポートしてくれます。

 

絹はなぜ夏場は涼しく冬場は暖かいの?

 

絹繊維を細かく見てみると、三角形の構造になっていますので束にすると隙間ができるのです。

この隙間は、身体から出る汗を吸収して衣類の外側へと放湿してくれるので、肌の温度を一定に保つことが可能です。

そのため夏場に汗をかいても肌表面は絹の吸湿性により快適な肌環境をつくることができます。

逆に冬場は肌から体温が逃げだすのを繊維の隙間が保持してくれるため暖かく過ごすことができます。

 

絹はなぜ黄色く変色するの?

絹には太陽の光による紫外線によって黄色く変色してしまいますが、主な原因は絹を作っているフィブロインです。
フィブロインの中に含まれるアミノ酸は、空気中にある酸素や紫外線の影響で酸化や分解を繰り返しメラニンに変わってしまいます。人間の皮膚も日に焼けると肌が黒く変色してしまいますよね。それと同じ原理です。

 

 

デレデレいかがでしたか? 読むだけで、遠い古代に想いを馳せることができそうですね~

雄大な絹(シルク)のお話でした。

参考、引用したサイトさんは