おはようございます晴れ

 

昨日は優しい読者様からのメッセージ

ほんとうにありがとうございました

元気をいただきました。

 

それも結果オーライだったからこそですね

これからはもっと体に気を付けて、まだまだ元気にブログ活動をしていきたいと思います。

引き続き皆様仲良くしてくださいね、ありがとうございます。

 

音符 音符 音符 音符 音符 

 

現在放送中の朝ドラ『ブギウギ』を見終わったら、なんとなく口から出てきたのは

山本リンダさんのデビュー曲『こまっちゃうナ』でした

ついに私の脳みそも来るとこまで来ましたかね?

『こまっちゃうナ』は1966年の発売です

かろうじて生まれておりますが、リアルな記憶はないと思います。

何度も何度も再放送された映像が記憶に残っているのでしょうね。

 

作詞作曲は

「からたち日記」「おひまなら来てね」「高校三年生」「星影のワルツ」の、遠藤実先生です。

 

「こまっちゃうナ」 

こまっちゃうナ デイトにさそわれて
どうしよう まだまだはやいかしら

※うれしいような こわいような
ドキドキしちゃう 私の胸
ママに聞いたら 何んにも言わずに笑っているだけ
こまっちゃうナ デイトにさそわれて※

こまっちゃうナ お手紙来たけれど
悪いかなァ お返事出さなけりゃ

うれしいような こわいような
ふるえてしまう 何故でしょうね
ママに聞いたら 初めはみんなそうなんですって
こまっちゃうナ お手紙来たけれど

 

※繰り返し

 

調べてみますと

1966年、当時のミノルフォンレコードからのリリース。当時15才、高校生になったばかりの歌声。(サバを読んでいたらしく17歳だったとも)

デビューヒットとなった一曲。この後、しばらく伸び悩みますが、年代変わって1972年6月、キャニオンレコードより移籍第二弾「どうにもとまらない」で“復活”することになる。とのこと。

自分が思っていた曲の早さよりゆっくりしているし、バックの演奏が厚みがあっていい感じですね~( ̄▽ ̄)

 

歌手になる前は確かモデルさんだったそうですね

(いつ、こんなポーズを日常でとることがあるのかと思うと笑ってしまいます)

 

元祖アイドルですが、ハーフという日本人離れしたお顔とスタイルが

もうまぶしすぎて、憧れるところまでもいかない雰囲気でした。

 

で、ここで思ったのですが、戦後には「パパ、ママ」と呼んでいたみたいですが

いったい日本人はいつから「パパママ」と呼んでいたんでしょうか?

 

ちょっと調べてみると

明治の前半まで東京では「おとっさん」が一般的だった。
明治36(1903)年に国定教科書が「おとうさん」を載せたが、同じころ、洋行帰りの華族らから「パパ」がはやりだした。
大正に入ると高浜虚子が、パパは「吹けば飛びそうでいやだ」と難じた。
昭和の初めには「その呼称は父母への尊敬を失わせる」とパパ禁止を訴えた文相がいた。
終戦後はいっそう普及。今や皇太子ご一家も「パパ」派のようである。

(元は朝日新聞の2004年10月15日の記事のようです。)

 

さらに

明治後半には洋行帰りの家庭で使われ、1917(大正6)年、高浜虚子の「パパママ反対論」に対し、与謝野晶子が「日本は文字も法律も外国から移植した。ことさら忌む理由なし」と反論、ちょっとした論争になった。
  

34(昭和9)年には海軍大将・岡田啓介内閣の松田源治文相が就任直後、「近頃、パパだの、ママだのがはやっているが、日本古来の孝道がすたれる。直ちに駆逐せよ」と、「日本精神」をあおった。
(朝日新聞2006年2月4日の記事が元です)

 

ということで、明治時代から呼ぶ人はいたらしく、「パパママ」と呼ぶのは嫌だという論争は戦前まであったようですね。

 

リンダ、こまっちゃうちゅー