おはようございます![]()
昨日は私の雑な写真入りの手前味噌記事に
コメントくださってありがとうございました![]()
やっぱり女の子だもん(スピねこさんは男性ですが)
ファッションの世間話はしたいですよね~
また機会があれば聞いてください、ありがとうございました。
今日は暗い話を少し
まぁ今の世の中もそうとう暗いですけどね
ネガティブを避けたい方はどうぞお戻りくださいね。
昨日、あるブロガーさんの突然のとても悲しい記事を読みました。
それを読んだのがたまたま夜中だったので
衝撃で悲しくて眠れなくなりました。
そして、私の夫は私のブログに全く興味関心がないのですが
朝、私が心に持ちきれなくなって
夫に「ブログのお友達に こんなことがあったんだよ 悲しいね」と話しました。
心に持ちきれなくなった時、話せる人がそばにいてくれてよかったです。
夫は自分も同じ体験をしたことあるよ と言ってくれました
夫にしては私の気持ちに寄り添ってくれた発言でした。
夫にそう言われて、そういえば、私も昔に同じ経験をしたことがあったなと思い出しました。
避けることのできないこの世での人間の4種の苦悩。生老病死。
だから、歳をとってくると、誰でも経験があるのですね。
そんなことをつらつら思っていたら、子供を亡くした母親キサーゴータミーのお話を思い出しました。
キサーゴータミーは、約2500年前、お釈迦さんの弟子になった女性です。つまり尼僧(女性僧侶)さんですね。
彼女は、貧しい家の生まれでした。ちなみに、キサーゴータミーの「キサー」とはパーリ語で「痩せた」という意味です。
そんな貧しい暮らしの中で、親、兄弟、一族、皆亡くなってしまいました。
結婚して夫との間に子供を設けましたが、妊娠中にその夫も亡くなってしまっています。
更にはその子供も幼くして亡くなってしまったのです。
幼子を亡くしたキサーゴータミーは、悲しみに打ちひしがれていました。自分にとっての唯一の肉親。大切に大切に育てていた我が子。
「どうして私だけこんな目に合わなければならないのか!?」
嘆き悲しむ彼女は、現実を受け止められませんでした。
そして彼女は、村中を訪ね歩きました。「どうかこの子を生き返らせる薬を下さい」と、幼子の亡骸を抱きながら……。
彼女の境遇を知る者にとっては、彼女の行動は理解できなくはありません。
しかし、幼子を抱きながら「生き返る薬をください」と、突然訪ねてきた彼女を見て、村人はどう思ったでしょうか?
真剣に彼女に取り合ってくれる人はほとんどいなかったことでしょう。中には親切な人もいたでしょうが、生き返らせる薬なんて土台無理な話です。
そうして幼子を抱きながら彼女は、各地を彷徨い続けました。
そんな中、ある家を訪ねると「私はあなたの望む薬は持っていないけど、きっとお釈迦さんならあなたに薬を与えてくれる」と言われました。
そうして彼女はお釈迦さんと出会いました。
彼女はお釈迦さんに「この子を生き返らせる薬をください」と訴えました。
お釈迦さんは「わかりました。その薬を作るには芥子の実が必要です」と言いました。
更に付け加えてお釈迦さんは言いました。「ただし、その芥子の実は今まで死者が出たことのない家からもらってくる必要があります」と。
そこで彼女は家々を訪ねました。「芥子の実を分けてくれませんか?」と。
芥子の実ぐらいであれば、香辛料としても使われるため、どこの家にもある代物です。 「いいですよ」と言ってくれる家はたくさんありました。
しかし、彼女は問います。「今までこの家から死者はでてないですか?」と。
すると家の人は応えます。「実はこの間おばあちゃんが……」と。
そこで次のお宅へ向かい、また同じように尋ねました。「今までこの家から死者はでてないですか?」
「実は何年か前に祖父が……」
「実は何年か前に夫か……」
「この子が生まれてすぐに妻が……」
「何番目の子供が事故で……」
「数十年前には父方の母が……」
「そういえば父方の母の姉が私の生まれる前に……」
そんなこと言えば、両親、祖父母、そのまた前……、死者の出ていない家なんてあるはずありません。 彼女は、各家を訪ね歩くうちに気がつきました。
「死は誰にでもやってくる。自分だけが特別不幸に見舞われたわけじゃない。誰もがそのような苦しみを背負っていたんだ……」
そして、彼女は抱いていた子供の躯(からだ)を弔い、自分自身の人生を再び歩み始めました。
当たり前のことに気づかせてくれた、お釈迦さんの弟子として。
キサーゴータミー(スリランカの切手から)
今、悲しみの真っただ中、どん底にいる方には、慰めになるお話ではないかもしれません
だけど、同じように、悲しみ苦しんだ経験のある人は、この世にたくさんいるのだ、今、苦しい人もいるのだと思うだけで
もしかしたら、そのことが、その人の心に寄り添うことになるかもしれませんね。
