1986年(昭和61年)夏のドラマでした。最高視聴率は31%
私はもう結婚してまして、でもまだ息子ができてなかったので
このドラマを元夫と2人で見ていたなぁと懐かしくなりました。
二人ともそんなにドラマが好きだったわけじゃなかったけど
このドラマは当時すごく人気で、私たちも楽しみに見ていました。
まだ楽しい新婚生活でした。
ちょっとその思い出が辛くて、じっくりは見れないなぁと思いながら
少しだけ、見ました。
昨日ちらっと見たシーンは、明石家さんまと大竹しのぶがめし屋さんで向かい合って晩御飯を食べるシーンでした。
めし屋さんの雰囲気も当時よくある感じに古っぽくて、お客さんはほとんどが男性で
そんな中で大竹しのぶは毎日のように通ってこの店で晩御飯を食べていましたね。
大竹しのぶがフライ定食にジャージャーとウスターソースをかけたりして、そういう描写も懐かしい感じがしました。
『懐かしいなぁ』思い出したくないと思いながらも、やっぱり元夫との新婚時代を思い出さずにはいられませんでした。
元夫はギャンブル依存症となって、財産を食いつぶして、退職金の前借も、保険金の払い戻しもすべて勝手にやってしまい
家を抵当に入れて、なおかつ友人知人に借金をしまくって、仕事を失い破産して、その頃に離婚したのですが。
子供ができるまでは、普通に仲良く暮らしていました。
なかなか子供ができなくて当時はやった言葉「DINKs」ディンクス(Double Income(共働き) No Kids(子どもを持たない)の略。)で生きていくのかなぁと少~し悩みながらも、時代はバブル期で、ボーナスをはたいては海外旅行に行っていた時期でした。
こうして写真を見ると、「そっくり」だと思ってた長男は
もう似てないです。次男とも似てないなぁ。
そしてこの写真の夫より今の息子たちのほうが年上になっていました。
お恥ずかしいですが夫はソフトパンチパーマ、私はロングのソバージュです(笑)
長男が誕生したのは平成元年の7月(1989年)
不妊治療を受けて
私の卵管が細すぎるとのことで
水を通す治療の末、授かりました。
誰にでも、何かしらの、思い出がありますよね
ボーナスが出るたびに旅行に出かけたり
夫が甲状腺の病気で長く入院したり
息子ができるまでもいろんなことがありましたが
なんとかなるさ~と生きていました。
共働きで、そんなに切り詰めなくても生活できていたし
きっと夫はそういう暮らしが良かったのだと思います。
子供が産まれて、私がかかりきりになり
しかも私が神経質になり
きっと笑顔も減ったのでしょう
もともと大きな子供みたいだった元夫は
無口な人でしたが、急激な変化についていけなかったのでしょうね。
私も夫のことを考える余裕がありませんでした。
子供ができたら子供中心の、こういうふうに暮らしていくのが私は当たり前だと思っていたけど
夫には苦しかったのでしょうね。
さらに4年後に次男が産まれて
もう、家のお金(夫のサラリー)に余裕もなく、倹約ばかりの日々となって
夫はギャンブルにはしっていってしまいました。
夫のしたことは、取返しもつかず、人間関係もすべて壊れて
夜逃げのように家を出て
夫を恨みましたが
俯瞰の目が私にあれば、事態は違っていたのかな?
離婚から6年後に元夫が亡くなってからはしばらくそればかり考えてました。
それももう20年以上前の事です(1995年に離婚2001年に元夫死亡)
悲しい思い出も、今はなぜかロマンチックな思い出となっています。
なので、今日の脳内ぐるぐる曲は
CCBのロマンチックが止まらないです。(1985年昭和60年)
♬長いキッスの途中で (さりげなく)
首飾りをはずした (指さきで)
友達のエリアから はみだした君の青いハイヒール
だれかロマンティック止めて ロマンティック
胸が 胸が 苦しくなる
惑う瞳に 甘く溺れて
Hold me tight
せつなさは とまらない ♬

