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「み」の練習のところに「わ」が
「みわ」は私の名前です。
当時、母は私のおばはんになった姿は忘れてしまって認識できませんでしたが
「みわちゃん」という娘がいることは
最後まで忘れてませんでした。
「み」のところまできて
「みわ」と書いた母を想って
泣くんじゃなくて
びっくりしてしばらくフリーズしてしまいました。
私が娘時代の頃
父は鬼か虎かというぐらい怖い存在だったし
母は冷たく身勝手な人でした。
どちらもまったく好きになれなくて、どちらかというと憎んで
それでも一人っ子だから、ずっーと付かず離れず暮らして
高齢になった父が、寝たきりになって、認知症も若干患っていた頃
父はすごく丸くなりました。
前立腺がんの治療で女性ホルモン治療を受けていたからかもしれません。
でも丸くなったヨボヨボおじいちゃんの父は、もう突き抜けて、かわいかったです。
近寄り難かった父が近寄れるようになって
沢山話をしたかったけど、残念なことに父は認知症+失語症っぽくなってしまい
ニコニコはしてたけど、言葉を発することがなくなってしまいました。
ほんとうに残念なことでした。
母も、認知症で一人で暮らせなくなって私の家に来た頃は
まだまだらボケだったので、私と衝突ばかりしていて
私も『なんでいつまでも母に苦労させられるのか』と思っていましたが
認知症が急激に進むと
母の嫌なところが消えていき
優しくて頭の低いおばあちゃんになっていきました。
お食事を持っていって
しばらくTVを一緒に見て
私はリビングに戻る
1時間ぐらいして食器をさげに行ったら
いつも日めくりカレンダーの裏紙に
お礼の言葉が書かれて、お盆に置いてありました。
字はまっすぐ書けなくて、のたくってましたし
私とわかって、私宛に書いたのか
それは怪しかったのですが
私はとてもうれしくて
何枚も残しています。
施設に入った母も、きっとそんな温和で優しい人だったんでしょうね(帰宅願望は強かったけど)
そういう優しい気持ちで、私の名前を書いたんだろうなと、しんみりしました。
私は両親ともに認知症だったので
私自身もそうなる可能性が高いですが
私も角が取れた優しいおばあちゃんでありますように
そう導いて下さいと
お仏壇に語り掛けています。