【忘れてました!追記です!今晩8時よりBSプレミアム(NHK)で
『岩合光昭の世界ネコ歩き』の放送があります、今回は『大阪』の猫さんたちということで
私ワクワクしております、良かったらぜひ、(録画して)ご覧くださいね~ご案内でした!】
おはようございます![]()
現在放送中のNHKの朝ドラ「舞い上がれ」の舞台は東大阪市
そして、主人公のお父さんは2代目の30坪ぐらいの(予測)鉄工所の社長さんです。
主人公の舞ちゃんは1985年生まれとのこと、うちの長男は1989年生まれ(平成元年)
私は36歳で離婚して、長男はそのころ小学4年生(10歳:1999年)
離婚してすぐ、建設会社の役員運転手を半年して(新聞の求人欄から応募)、役員のセクハラを拒否ってクビになり
雇用保険もなく、途方に暮れて、(携帯もパソコンも持ってませんでした)
新聞折込の求人を実家で探して、隣の市の東大阪の鉄工所の事務員に応募したのでした。
なので、舞い上がれの今の時代の4年後ぐらいに東大阪の鉄工所で働き始めたことになります。
結果的にその鉄工所は私が入社して数年で、一番の受注先である大手メーカーの下請け会社から、仕事を切られて
倒産してしまいます。
私は倒産へのカウントダウンの中、工場長から紹介してもらった、東大阪の工業団地の中にある、小さいけれど、右肩上がりだと言われていた鉄工所に移らせて頂いたのですが、
私がどうしてもそこの女性社長と合わずに、引き留められたものの1年ほどで退職し、昔やっていた内職の社長さんからドレスの仕事を紹介してもらったのですが(そこでドレス販売の修行をした)
その右肩上がりだと言われていた鉄工所も、なんと2年後には倒産してしまいました。
当時の鉄工所と言えば、バブルは終わったものの、その余波で何とか必死でやりくりしていましたが、バブル期の派手な生活ぶりが抜けなかったり(大きな受注先とのゴルフコンペの会など)、従業員を雇いすぎていたり(高齢の職人さんを切れずにいたし)、超高価なレーザーやプレス機のローンが残っていたり、パソコンの導入にも人手もお金もかかったし、そんな中、部品の製造や金型の製造まで、中国にとられてしまい、あっという間に仕事がなくなっていき、持ち堪えられずに倒産していったのです。
私が最初に入った鉄工所は大手メーカーの下請けの下請け(孫請け)で、毎月きちんと生産予定が入ってきて、それによって鉄やステンレスを購入して、納期に合わせていろんな部品を作っていました。
うちの会社のさらに下請け(ひ孫請け)が舞ちゃんのお家の鉄工所ぐらいの大きさの会社が多く、さらに単一部品だけ、お家のガレージみたいなところで作るひひ孫受けの会社までありました。
私は面接の時、副工場長と面談したのですが、きっと『必死すぎる光線』を出していたのか、即時就職が決まり、そのまま副工場長と工場の中を案内&紹介してもらって回ったのを覚えています。
私は持っているのは運転免許だけで、パソコンも知らず、経理もできないけれど、やれと言われたことは何でもやったので
「雑用係」として、デスクワークより、人手が足りないときはアシスタントで工場に入ったり、小さな部品を車で引き取りに行ったり、大きな下請け工場に書類を持って行ったり、2トントラックを運転して、急ぎの塗装の部品を、八尾市や大東市の塗装屋さんまで持って行ったり、引き取ったり、お給料(手渡し)の袋詰め作業を鍵のかかった会議室でやったり、小払いの管理までしました。
定時後は若い事務の男の子にパソコンを少しづつ習いましたが、私は子供がいるので、ほとんど残業はせずに、休日出勤をしました。
半日の休日出勤だと、朝二人の息子を連れていって、そのあたりで遊ばせておいて私は仕事をして、仕事が終わると連れて帰ることができるからで、社長さんも、目をつぶってくれていました。
あの頃はやりがいもあったしやることが多岐に渡って面白かったし、まだ体力もあったから、充実していました。
でも会社がどんどん傾いてきて、従業員への給料が遅れだして、若い従業員が暴れたりして、殺伐としてきて
社長は資金繰りに奔走し、工場長は新たな取引先を探していました(工場長は下請け会社からの天下りです)
うちのメインの取引先とは生産計画書が最低3か月前には届いていたのに
それが届かなくなったときは、皆で青ざめました。
そんな経験をしたので、朝ドラの舞ちゃんのお父さんには手に汗握る思いで見ています。
今も東大阪には(いや、どの市にもあるでしょうが)工業団地があります。私のイメージでは今は半分ほどの会社が入っているのかなという感じですが、世の中いいか悪いか円安で、中国から大手が撤退してきていますので
また大阪の製造業の活気が出てきたらいいなぁ、そんな簡単なものと違うのかなぁと思いながら、ドラマを見ています。

