おはようございます![]()
昨日9時半に寝ちゃったので、朝、雷の音で3時半に目が覚めて
それから寝られず、でもこれ幸いにとブログの読書と小説の読書の時間にしました。
昨日も書きましたが『芋たこなんきん』という2006年(平成18年)放送のNHK朝ドラの
再放送を見ています。
主人公は行き遅れの初婚でしたが、相手の方は再婚、元の奥様は病死ということで
なんか知らんけど、最近元夫のことを想うことが多くなりました。
元夫は胃がんであっという間に亡くなって、早や17年、そうか今年は17回忌か
でもうちには位牌も何もありません。
元夫は離婚後6年目に亡くなったからです。
子供らに伝えて、今年の12月は心で手を合わせて祈りたいと思います。
って、しんみり書くけどね
元夫はギャンブル依存症でした、当時そういう病名ができたばかりで、元夫に病院へ行こうといっても
全く取り合ってくれませんでした。
夫は借金しまくり、家を抵当に入れ、子供らの積み立ても保険もみんな解約されていました。
友人にも同僚にも会社にも何度も借金し、しまいには私のママ友にも近づいていました。
まだ結婚してた時は、私は「火を消すこと」に必死、無我夢中
働いていたときに買った大事な時計や金目のものは全部現金に換えて、借金を返してましたが
それが余計に悪い結果となりました。
最終、私は離婚を要求して、小学生と幼稚園の息子2人を連れて夜逃げのように家を出ました。
私の母が実家近くに6畳と2畳と流し台のついた古いアパートを借りてくれて
そこに入りました。
子供らと荷物で6畳はいっぱい
私は2畳の部屋に布団を敷いて寝ました。
2畳のすぐ隣は小さな土間の玄関、そしてガラスの引き戸ですぐ外です(1階だった)
夜、心細くて泣きました
夜中になるたびに何日も泣いたと思います。
死に物狂いで夫の尻拭いをした後に、こんな生活で
私は恐怖のリミッターを超えて、きっと一部壊れてしまったと思います。
でも子供のために働いて、できるだけそんなそぶりを見せずにいました。
実家からは(家の頭金を出してもらったのに全部失って)申し訳なさから、お金の援助は
子供らの月1回のお小遣いだけ、あとは実家に行ったときに、時々食品をもらう程度で
最後まで生活保護のお世話にならずに2人の息子を育てました。
元夫も壊れていました。
離婚時に、元夫がまともになったら復縁も考えるといいましたが
結局なんやかんやの言い訳で養育費も1回もくれませんでした。
それどころか、ことあるごとに私を困らせ、最後は子供のお年玉も私に内緒で借りに来てました。
そして6年後に元夫から「ばちがあたりました」とメールが来て、元夫が胃がんにより余命3か月と知ったのです。
私は重なる苦労から、もう元夫の顔も見たくなかったのですが
子供を連れて毎週お見舞いに行きました。
元夫は生活保護を受けていました。(入院先のケースワーカーさんに手配してもらっていた)
私は「ほしいもの、食べたいものない?」とメールして、返事があったものを用意して
子供に持たせました。 私はあまり会わないようにしていました。
元夫には「子供のために 生きて」と言ったので
元夫も一人で東京までバスで、丸山ワクチンをもらいにいったりしたのですが(友人に援助してもらって)
東京から帰ってすぐに亡くなりました。
私は、夫の死後、軽いうつ病になりました。
きっと緊張の糸が切れたのだと思います。
それも、子供の学費のために、乗り切って克服しました。
こんな時代を生きたので、私の魂ってすり減ってる気がするんですよね。
長く書いてしまいましたが(しかも暗い)
『伴侶が亡くなった』と言っても、当然人それぞれ
思い返すと辛すぎて嫌になります。
私は固定電話を取るのが今でも怖いです
借金取りの恫喝の電話を何度もとったからです。
私は普段は図体の大きいおばちゃんですが
あの毎晩泣いていた時から、メンタルはあまり変わってないと思います。
でもね
一つだけましだったこと、あります
愛する人を失っていたら
私は耐えられなかった
だから元夫が、嫌いになってた頃で、まだましやった
ましやったことは これだけ。