おはようございますくもり

 

NHKBSで過去の朝ドラの再放送やってるんですが

昨日から『芋たこなんきん』やってます。

本放送中は見たこと無かったんですが

藤山直美さんが「田辺聖子」さんを演じるお話

きっと面白いやろうと思ってみていますニコニコ

 

 桜 桜 桜 桜 桜 

 

久しぶりにまた子供の作文をご紹介します

前回の記事はこちら↓

 

私が時々紹介する「子供の」は、昭和50年ころの兵庫県のある公立小学校の

小学1年生のものです↓

 

 

 

 

今日の「作文」は朝日作文コンクールの2000年ごろの作品集からご紹介していますが

コンクールの後援が、ある幼児教室というのもあり、ある意味「せんせいあのね」の子供たちと

テイストが違います。子供の感受性は純粋で同じでも、環境の違いを感じますね。

 

「親指しかない手」  宮本 彩加(1年)

 

わたしのかよっていたようちえんでは、コースべつに先生とならんであるいてかえっていました。

 

ある日、ある男の子と手をつなごうとしたとき、わたしは、ドキッとして手をひっこめてしまいました。

 

その子のかた手には、親指しかなくて、野口英世の手のようでした。

 

わたしは、とてもびっくりし、ちょっぴりいやだなと思いました。

 

どうやって手をつないだらよいのかわからなかったので、先生にきいてみました。

 

「うでをにぎってあげればいいのよ。」

 

でも、へんな気分でした。しばらくいっしょにおしゃべりしながら、あるいていると、なれてきました。

 

話をしてみると、ふつうの男の子でした。

 

その子のおかあさんは、「手をつないでくれて、どうもありがとう。こういう手の子もいるのよ。」

 

と、話してくれました。

 

そのことをおかあさんに話すと、

 

「ママだって、生まれつき、右耳が小さいままで、聞こえないのよ。でも、ふつうの学校に行って、英ごもフランスごも、スペインごだって話せるし、エレクトーンやピアノの先生もしているのよ。パパだって、生まれつき、むねに赤いあざがあるでしょう。みんな神様のいたずらなのよ。生まれつき、耳や目の不自由な人も、じこや病気で手足をうしなった人たちも、みんな、わたしたちと同じようにできるし、おたがい、助け合って生きていくべきなのよ。」

 

と、おしえてくれました。

 

わたしは、今、近くのじどうかんの手話クラブに入っています。学校でも、手話でうたう「四季のうた」をならいました。

 

たくさんできるようになったら、ようちえんのうらの、ろう学校のおねえさんたちと手話で、話し合えたらいいなあと思います。

 

この間、学校で車いすを体けんしました。

 

まい日、通学のとき、駅のかいだんでこまっている車いすの人を見かけます。

 

わたしは体けんしてみて、はじめて、車いすの人の思いや、駅員さんの苦労がわかりました。

 

世の中には、けんこうな人ばかりではないこと、しょうがい者の人たちも、わたしたちと同じように生きていくけんりがあること、しょうがい者の人たちの良いところをみとめ、おたがい、なかよく助け合って生きていくことがわかりました。

 

これからは、しょうがい者の人たちにも、へんな目でみたりしないで、やさしくしてあげたいと思います。

 

 

 

うちの息子らも、小さいですが障害があります

長男は生まつき肋骨が少なく(わりとあるらしい)、腰の骨が奇形で弱いので

高校に進学するとき本当は「体育科」に行きたかったのですが、腰のせいで

お医者様に無理だと言われました。

 

次男は「漏斗胸」で、呼吸が浅めです、見た目は悪いですが、裸にならないとわからないし

進行はしていないので手術はしていません。

今まであまり何も気にならなかったのですが

コロナで「肺炎」になると聞くと

万が一かかった時、呼吸が浅いことが、余計に悪くならないか

とても心配でした。(今も心配ですが)

 

でも二人の障害は目に見えないので、そのことで「変な目」で見られることはありませんでした。

世の中にはいろんな「障害」がありますがそれを「神様のいたずら」だと考えて、できるだけ明るく過ごしていくこと

それをほかの障がいのある人にも同じように思うことの大切さを、子供に教わった気分です。