おはようございます![]()
天気予報では曇り晴れでしたが小雨が降ってますよ。
ブロガーさーん(匿名(笑))私も膀胱炎になりましたよ~( ̄▽ ̄)てへっ
最近特に朝が起きにくいのです。
母がいたころは自分の体調を考える暇なく、母ファースト(朝6時から)だったから
母がうろうろしだしたら飛び起きていたんやけど(早朝から「帰る」って言い出すから。)
今朝は節々が痛い
風邪でしょうか? 喉は痛くない
やはりリウマチでしょうか
頭も重い 顔も何となく重い
やっぱり風邪でしょうか?
いや、これはきっと花粉症
こんな自問自答してたら
あれ?? これって金子みすゞみたい!!って思って(・∀・)ニヤニヤしてしまいました。
みなさんご存じですよね
2011年の東北大震災の後、繰り返し流れたACジャパンのCMのひとつとして使われていましたね。
「こだまでしょうか」
「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと「もう遊ばない」っていう。
そして、あとでさみしくなって、
「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、いいえ、誰でも。
この詩を書いた金子みすゞがどんな人だったかご紹介します。(去年NHKの100分de名著で取り上げられていました)

金子みすゞ(本名:金子テル)は、1903年(明治36年)4月11日、山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)で生まれました。
父は清(当時の中国)で書店を経営していましたが、みすゞが3歳の時に亡くなっています。
稼ぎ頭を失った一家は、地元で書店を始めました。
みすゞは、10代半ばから詩の創作を始め、20歳ごろから雑誌に投稿するようになります。
童謡雑誌に作品が掲載されるようになると、詩人・西條八十(さいじょう やそ)に「若き童謡詩人の巨星」と才能を認められ、若き童謡詩人たちの憧れの星となりました。
23歳で親の勧めにより結婚し、一人娘をもうけますが、夫は女性問題を度々起こし、二人の結婚生活は決して幸せとは言えませんでした。
女郎遊びをする夫から淋病をうつされたこともあったほどです。
挙句の果てに、自分のことは棚に上げ、「子育てに集中しろ!」と命じられ、詩の創作や手紙を書くことすら禁じられました。
みすゞは夫からうつされた淋病が悪化し、入退院を繰り返していましたが、一人娘だけが生きる支えでした。
そして辛い日々に耐えられず、ついに離婚。
しかし、当時の社会では、離婚後の子どもの親権は父親にありました。
娘を引き離そうとする元夫に抗い、元夫が「娘を迎えに行く」と言った日の前日、母に娘を託すことを懇願する遺書を書き、みすゞは自ら命を絶ちました。1930(昭和5年)3月10日。26年の短い生涯を閉じたのです。
たった3年の結婚生活のせいで、彼女は死ななければなりませんでした。
なんて悲しい晩年だったことでしょうね。
金子みすゞは、26年の短い生涯の中で512篇の詩を遺しました。
代表作の「私と小鳥と鈴と」は
「私と小鳥と鈴と」
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
もっともっと生きて
人にやさしい詩やお話を作っていただきたかったですね。