時代が違う、そう言ってしまうとその通りですが・・・

コロナで子供を預けるところがないお話とか、親がコロナになったら子供はどうするの?などの報道を聞いていると自分の子供の頃のことを思い出しました。

現代の方が法整備が整っていて、清潔で、役所には問い合わせ窓口もちゃんとあって、こちらから助けを求めればある程度の手助けをしてもらえる社会になっていますね。

でも私が子供の頃だった昭和30年代後半から40年代初めの高度経済成長期ならではのチグハグな時代は「ALWAYS 三丁目の夕日」みたいな今より時間がゆっくり進んでいたような、のんびりした時代でした。そんなむかしむかしのお話です。



私が幼稚園の頃、母が自動車教習所に通ったのですが、今のように託児所もなく、私は母と一緒に講義を受け、母と一緒に教習車に乗りました。(後部座席にシートベルトもつけずに)
一人っ子だったし、近所に預けるところもなかったのでしょうね。
そして一人遊びがおとなしくできる子だったので、特に困らなかったと思います。

そしてお次は私が小学校1年に入ったばかりのころ、今度は母が胃潰瘍で入院、手術をしました。
入院期間は今より長くて3カ月は入院していました。
実はその年は大阪万博の年だったのですが、その期間中(1970年3月から9月)ほとんど母は伏していましたので私は2週間ほど神奈川県から看病に来てくれた母の姉と一緒に万博に連れていってもらいました。

そしてその叔母が帰ってしまうと、私は学校の制服やランドセルを持って、母の個室の病室で暮らします。
小学校へは病院から歩いて通いました。
その当時父は朝の3時から働いていて、とても私を看ることができなかったのです。

前に書いたのですが、私はカトリックの学校に通っていたので、担任の先生は母より年上のシスターでした。
そのシスターが私のことを不憫に思ってくださり、とても優しく、時には甘やかしてくれて今も忘れられません。

一人っ子で感情の出し方が下手な私のことを放課後抱きしめてくださいました。
シスターは年中木綿のブラウスにロング丈のジャンパースカート姿でしたので、今でも抱っこされていた時の服の少し硬い肌さわりが思い出せます。
そして放課後シスターと二人で宿題をしたり本を読んだり歌をうたったりして、夕方に帰してくださいました。
シスターが甘やかせてくださったからこそ、私はその時期をなんとか乗り越えられました。



病院のお医者様も看護婦さんもみんな親切でした。
病院の中を退屈してうろうろしていた私に、お医者様はホルマリン漬けの母の胃袋を見せてくれました。
豚のステーキみたいだなと思いました。ホルマリン漬けがずらりと並んだお部屋でお医者様はいろいろ説明してくださいましたが、何も覚えていません(笑)

 


看護婦さんは当時流行っていたリボンで作る金魚さんをいくつも作ってくれました。


食堂のおばさんは、夕日がさす食堂にふらふらやってきた私を呼んでくれて、よくみかんの缶詰を食べさせてくださいました。

胃潰瘍の手術ができる病院といっても少し大きな個人病院だったので、きっと私のことはみんなご存じだったのでしょうね、いやな思いもせず、その時期を過ごすことができて
今となっては有難いことだと思います。

どれもこれも今なら通らないことばかりですね。だけど家の中でひとりぼっちで過ごしているより、この時の私はずっと楽しかったし幸せでした。