個人的な人に宛てた応援メッセージです
今は大越先生の言葉を少しずつ書いていきます


お母さんから、こういう質問を受ける時があります。それは
「娘は師友塾が好きだと言っています。どんどんはまっています。そのことはうれしいのですが、なぜか不安なんです。」と言うものです。
私の塾は、世間の通念から見れば、いわゆる「落ちこぼれ塾」です。だからこういう不安が生じるのです。


このタイミングで「あなたはあなたで、私は私です、お金は払ってあげるから、あなたの勝手にしなさい」などと突き放すようなことを言うと、子どもはとても寂しがります。子どもは、自分が見つけた新しい世界を親御さんと共有したい、自分の頑張りを見てほしいという気持ちでいっぱいなのですから、関心を持って子どもの話を聞いてやってほしいのです。


それだけでも、子どもは「自分が関心を持ったものに、親も関心を持ってくれた。お母さん(お父さん)と心が通じたんだ」と、とてつもない安心感を得るのです。
すると次第に、子どものほうが親を気遣うようになるでしょう。子どもは親御さんがどれほど苦しんだか、最初からわかっているのです。ただ、安心できない状態だと、自分の身を守ろうとするのに必死で、親を気遣う余裕がないだけなのです。


安心感を与えてやるために、子どもが何か熱中できるものを見つけたら、それに関して積極的に聞いてやり、そして、その成果をほめてやるのです。
私は、母親代わりになって育ててくれた姉を4年前に亡くしました。その頃私は、一生懸命頑張っていましたが、その姉にほめてもらいたいとか、認めてもらいたくて頑張ったという自覚はありませんでした。そういう自覚を持とうにも、私の頑張りに対する姉の態度は非常に淡泊だったのです。


たとえば、新しく出版された本を姉に送り、後日「読んでくれた?」とさりげなく聞いても、「あ、なんか来てたね」とそっけない答えしか返ってきません。もちろん、頑張ってるね、えらいね等と言う言葉は一度もかけてもらったことはありませんでした。


しかし、姉を亡くしたあと、私は、たとえそっけなくても、姉の存在にどれだけ支えられて頑張ってきたかを思い知りました。

姉が亡くなって間もないある日、フッと姉の家の電話番号を回してしまったことがあります。その次の瞬間、「あ、いないんだ」と気付いてガクッとしました。「今後、どんなに俺が頑張っても、見てくれる姉がいないんだ」と思うと、なんだか妙に寂しくなってしまったのです。


その時つくづく私は、姉に認められるために、頑張っていたんだなということがわかったのです。姉は私にとって、どんなどんなにさりげないようでも、いてくれるだけで支えになっていた人だったのです。


私はそれまで、親御さんに「お子さんを元気にするには、お子さんが打ち込めるもの、熱中できるものを探しましょう。大検や高卒の資格を取るのは二の次です。」と言ってきました。それで現に、元気になった子どもがたくさんいたので安心していたのです。


しかし、姉の死をきっかけに、私は、打ち込んでいる子ども、熱中している子ども、頑張っている子どもを見守る親がいることが非常に大切なのだと学びました。つまり、熱中できるものが見つかるだけでは十分でなく、何かに熱中する自分の姿を見てくれる人がいるからこそ、子どもは頑張るのです。この双方がそろって満たされた感覚を「十全感」といいます。


反対に、子どもにとって一番つらいのは、無視されることです。「あなたはあなたの道を行きなさい。お母さんはお母さんの道があるのだから」という言葉は絶対に禁句です。これほど、子どもが寂しい思いをする言葉はありません。


塾の中では私がお父さん役ですから、「見る」という役割を引き受けています。私は非常に細かく子どもたちを見るように心がけ、彼らをできるだけほめるようにしています。
たとえば、10時から11時の授業で、10時半ごろ来た子がいた場合、残りの30分に参加したということでほめる。

そうかと思えば、あと15分で終わるというのに、部屋を出る子もいる。この場合、あと15分辛抱すればいいのにと思いがちですが、逆に、45分頑張ったと考え、やはりほめてやるわけです。


そうするのが親御さんならばそれに越したことはありません。ものは考えようと、どんな些細なことでも、子どもに対する関心を示すためにほめてやりましょう。それが重なることで、子どもは無上の安心感を得るのです。


「できなかったことを見るのではなく、できたことを心からほめてあげましょう」 


「自然に勉強する気になる子の育て方」P60~63より