個人的な人に宛てた応援メッセージです
今は大越先生の言葉を少しずつ書いていきます




受験に勝利したから
人生に成功したのだろうか?

自分の子供は受験に落ち、同級生は受かったという場合、子供たちはもちろん、お母さんも相当な屈辱感を味わいます。
「この子が受験に失敗したのは私のせいだ」と自分を責めると、その一時的な痛みの後に屈辱感は雲散霧消するように思えます。
しかし、本来お母さんと子どもが立ち向かわなければならないのは、「受験に失敗したことに屈辱感を感じる」という価値観そのものです
受験に勝利すると、人生に成功したと思う、その考え方です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・大越先生のことばはここまでです

まず、プロローグです。
ほんのたとえですが、2ちゃんねるの世界に行くと、滑稽なほどの学歴合戦が起こっている時があります。
1ランク下なだけでも「○○大のくせに」と馬鹿にする。
低いランクの大学だと「クソ」呼ばわり。
読んでいて呆れる品の無さです。
しかし、書かれていることから察すると、書き込んでいるのは有名大学の学生のようです(皆匿名なのでそれも怪しいですが)


「2ちゃんねる」が「そんなところ」だということを差し引いても
「学歴」というものは人を「やっきにさせる」エネルギーがあるように思います。
現在の学歴は競争の果てに手に入れるものなので、「勝った、負けた」「成功、失敗」という意識になるのは当然のことだと思います。
有名スポーツ選手が人生を賭けて試合に臨む時と似たような心境になるのかも知れませんし、試合に負けて悔しがって泣く高校球児のように受験に敗れて、家族そろって悔しがり泣くなんて家族もあるのかも知れません。


ですが、スポーツ選手が試合に負けた時や引退した時、誰もその人の人間性を非難する人はいないのと同じように受験に負けたとして、その人の人間性が劣っているとは思えないのです。


人の成功を考えた時、最終的にはその人の人間的な魅力がすべてではないかと思います。
なのでそのことで一喜一憂するのもほどほどにして、個人個人の人間性を磨くことに注力すればいいだけのことだと思うのです。


ただ、難関と言われる大学出身者は、そこに入るための努力があったろうし、
そういう努力を重ねてきた人たちが集まった大学で過ごす切磋琢磨の中で育まれたものもあっただろうとは思うし,私は、人間の魅力とはその人の歴史【生きざま】によって作られる部分が多いと思うので、学歴もその歴史の一部分だとは思います。


しかし人生80年のほんの産まれて20年間のことで、人生すべてが決まるなんて、そんなに世の中、簡単じゃないと、思うんですよね。


どうして、プロローグがこんな話なのか
それは、カチカチになった親の頭を、少しずつやわらかくして欲しいからです。
今のあなたが、学歴に凝り固まった人だなんて全然思っていませんが
大人になってかなりの年数を過ごしてきて
目からウロコなことも少なくなってきて
お互い新しいことを受け入れにくくなってないかなと 心配しています。