春雷 36 | 背徳的✳︎感情論。












「はぁあったまる」

スーツの女性は両手でコーヒーのカップを包み込んで、それをゆっくり啜った。メガネのレンズが曇って表情が分からないけれど、吐き出された声は至福のため息だった。

そんな所まで小林先生とそっくりだ。


彼女に連れられて入ったコーヒーショップで俺たちは向かい合って座っている。

夕方の店内は客もまばらで、酷く静かだった。


「あの

すっかり寛ぎモードの彼女に俺はおずおずと声を掛けた。話が何も進んでいない。

「あっ、ゴメンゴメン、どこまで話したっけ?」

彼女はハッとした様子でカップを置き、曇ったメガネを外した。その顔を見て、やっぱりあの時の彼女だと、俺はそこでやっと実感した。

大野先生の彼女じゃないって話」

彼女じゃなきゃなんなんだと、口に出した言葉が非難する口調になってしまう。

「ああ、そうそう。そうなのよ」

「一緒に住んでるのに彼女じゃないって言われても。遊びってこと?」

「はぁ? どんな誤解してんのキミは」

彼女は露骨に嫌な顔をして苦笑いした。

「だって、他に何が、」

「あっ、もしかして… キミって、智が好きなの?」

「は? 違ッ、そんなんじゃ、」

「分っかりやすぅぅ」

いきなり図星を指されて思わずどもってしまう俺に、彼女は高揚した顔で口元を押さえて「だから私に冷たいんだね」とニヤついて言った。


「ち、が、い、ま、す!」

俺は声を荒げ、彼女の奢りのコーヒーをガブリと飲んだ。途端に喉が焼け、

「熱っつッ」

吐き出しそうになって おしぼりで口を押さえた。

そんな俺を見て、彼女はケタケタ笑った。

「キミ面白いね〜。うん、いいね、キミ」

からかうように言われ、ムッとして睨むと、

「ごめんごめん。でもその変な誤解、解くの、なんかもったいないなぁ」

彼女は「んふふっ」と肩を揺すった。


どう言う意味、ですか」

「いやー、誤解させておいた方が面白あ、ウソウソ、帰らないで!」

苛立ちを抑えられない俺がカバンを掴んで立ち上がると、彼女はそれを必死になって止めた。

「真面目に話すって約束できます?」

冷たい目で見下ろして言う俺に、

「する! 約束する!」

だから座って、って彼女は両手を合わせた。

「絶対ですよ」

「分かってる! キミが可愛いからつい。あー、智なんかよりキミみたいな弟が欲しかったな〜」

笑い過ぎの彼女は目に涙を滲ませて言った。


弟?

聞き逃しそうになった言葉を反芻して、俺は座り直した腰をもう一度浮かせた。

一瞬、弟って単語の意味が思い出せなくなる。

「あんなぶすっと無口で何考えてるか分かんない弟よりキミのが全然可愛いよ〜、分かり易いし」

思考が止まっている俺に彼女はにこやかに言葉を続けた。


「ちょ、ちょっと待って待って待って」

「あ、そうだ、智の話だった」

「いや待って!」

彼女が当たり前のように話を戻そうとするから、それを制した俺の声が店内に大きく響いた。

「なに?」

彼女はキョトンと首を傾げた。

「いやえっと、つまり、貴女は、大野先生のお姉さん?」

一言づつ区切って確認する俺に、

「あ、まだ自己紹介してなかったね」

彼女は手を打ってそう言った。


「智の姉の聡美です」

ペコリと頭を下げられ、

「さとみさんお姉さん

俺もつられて頭を下げた。

「智のヤツ、私のこと説明してなかったんだね。で、キミは?」

二宮です」

「二宮くんか。よろしくね」

ニコッと微笑まれて、俺はもう一度 頭を下げた。まだ思考が追いついて来ない。

「えっとおおおお姉さん、」

「聡美って呼んで」

「さ、聡美さん、は、本当に大野先生のお姉さん? 彼女じゃなく?」

「ないない!」

「じゃあ、えっと、姉弟で一緒に住んでるってこと

「仕方なしにね〜。私も智も実家にいたんだけど、両親がいきなり『北海道で農業する!』って言い出して、『家を売るから独立しなさい!』って。もぉ晴天の霹靂もいいとこよ」

それが去年の年末の話、って聡美さんはそう言うと肩をすくめて見せ、

「両親の昔からの夢だったらしいんだけどね。智が春から高校に勤めるって決まったから、もう親の役目は終了、好きな事します!って。でも急過ぎて、私も智もお金なんてないからさぁ、姉弟で協力するしかなくて、仕方なく一緒に部屋を借りることにしたの」

ため息と共にそう続けた。


「そうなんだ」

「そうなのよ。私だって好きで弟なんかとだから全部キミの誤解だよ〜」

「だって先生が、」

言いかけて俺は言葉を止め、コーヒーをズズッと啜り、感情のままに色々吐き出してしまいそうな自分を押し留めた。

「智がそう言ったの? あんにゃろ、またやったな」

そんな俺に、聡美さんは驚いた声を出した後、明後日の方向を睨んで舌打ちした。

「また?」

問い返すと、

「アイツが中学生の時、告白されたのを上手く断れないもんだから、彼女がいるって適当に話作って私の写真見せたのよ。大変だったんだから、そのあと」

聡美さんは憎々しそうに言い、

「思い出したら腹立って来た」

残りのコーヒーを一気に煽った。

「そんな事が

「言葉で ごまかすの下手なもんだから私とのツーショット写真見せたのよ。そりゃ姉弟だもん、一緒の写真くらいあるっつーの」

…そうなんだでも俺の場合は俺が勝手に

「まぁ、部屋に女がいたら誤解もするか」

聡美さんは他人事のように笑って、テーブルに置いていたメガネを掛け直した。


学校で先生に彼女がいるって噂になっててんで家に行ったら海外旅行のパンフレットがいっぱい広げてあって… 俺、これはもう結婚まで話が進んでるんだなって」

あの日思ったことを辿々しく口に出すと、

「あぁそれでそんな誤解をね。あのパンフレットは私の仕事の資料なんだけどそっか、そんな風に見えちゃったのか」

聡美さんは細い指先で頭を掻いた。

「仕事の?」

「うん。私、旅行代理店に勤めてるの」

そう言われて俺は あぁと息を呑んだ。


「ウチの店はもう一駅向こうなんだけどね、今日は ばーちゃんに呼ばれてたから」

付け足された彼女の言葉に俺はピクっと反応した。

「ばーちゃんに呼ばれてって

「ばーちゃんが息子夫婦が今どうしてるのか気にしてて。そりゃ気になるよねぇ、いきなり北海道だもん。だから孫を呼びつけて色々聞き出そうとするのよ。そんで仕事帰りに」

「え、待って、ばーちゃんち、この辺なの?」

「そうよ? でも駅から遠くて、行くの結構大変って、どうしたの?」

聡美さんの言葉に俺は頭を抱えた。彼女はびっくりした声を上げ、俺の顔を覗き込む。


「いや、俺、ばーちゃんちって言うから てっきり遠方の田舎だと


ばーちゃんの家=田舎って言う、勝手な思い込みをしていた。

花火大会の夜、遠方にある ばーちゃんちに行ってるハズの先生が、学校で倒れた俺を助けられたのは、ばーちゃんちに行くって言ってた事が嘘だったからだと、俺は勝手に決めつけていた。


先生は嘘なんてついていなかったんだ


俺は頭が真っ白になって、その空っぽの頭をゴン!とテーブルに打ち付けた。











つづく



月魚




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