不幸というものは、人を選びません。
天災と寿命は特にそう思います。
人どころか場所も選ばない。
それが、不幸。


不幸とは何かーー。
私はそう考えるときがあります。
しかし、少なくとも私は不幸ではありません。大切な人が居ます。笑っていて欲しい人が居ます。愛おしい猫も居ます。

音と声以外、手に入れようと思えば何とかなりますし、補聴器は私の耳にぴったりフィットしてくれていて、色んな音(慣れない人の声は認識出来ない)を拾ってくれます。

必要な誰もが補聴器を買えるわけではなく、自費購入となる人も珍しくはありません。日本の福祉制度では、一定の基準を満たさなければ、補聴器購入の助成金は出ません。

いずれ病で聴覚を完全に失うと医師に診断されていても、それは変わりません。


ーー私は。
補聴器の審査で、こう言われました。
「これくらい聴こえないのであれば、人工内耳にしたほうが良いのではないか」
全く簡単に言ってくれるなぁ、と思いました。

確かに現在では、人工内耳は保険がききます。しかし、機械を頭蓋骨に埋め込む為、骨を削ってその為のスペースを作らねばならず、また、人工内耳は補聴器と違い、着ければ必ず聴こえるわけではないのです。

私は夫と何度も話し合って、
「どうしても補聴器でカバー出来なくなったときは、人工内耳にしよう」
という結論に至りました。
それすらも賭けですが、私は99%の絶望より、残りがあるならば、1%の希望に賭ける人間です。

そうやって、生きてきました。
今も、こうして生きています。


そこまで、生きてきて。

生まれてこなければ良かった。
あのとき死んでいたらーー……
そう思いつめたことも、ありました。

それら全てを振り切るには、かなりのパワーが要りましたし、それなりのヘルプも必要でした。



でも、今思うのは。
どのような病や障害があっても。

ーー生きてて良かった。

ということです。
ここに至るまでの道は、決して平坦ではなく、むしろ悪路でした。だから私は耐え切れず、自分のいのちを断とうとしたことがありました、何度も。

ですが。
不幸は人も場所も選びません。
不幸を選ぶのは、人そのもの。
不幸が好きな人間は、いつまでも不幸なままです。
そんな生きかたって、楽しいのかな?


だから私は、不幸にさよならを言いました。自分が抱え込んでいた、不幸に。
「貴女は不幸が好きなんだよ」
そう言われてから、数年が経過したのちに。現在から、数ヶ月前の出来事です。


……眠れない?
1日くらいなら大丈夫。

……聴こえない?
それでも分かってくれる人が居る。

それって、とても「幸せ」なんじゃないかなーー私には、そう思えてならないのです。


さあ、今日の夜明けです。
明けない夜の無いように。

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