ハンディキャップキッズのUP第一弾は、知る人ぞ知る (プッ)私の出産体験記ですん
私 結婚してから妊娠するまでにかなり時間がかかったのですよ。
結婚当初は現代舞踊の舞踊団で踊らせて頂いてたので、出産興味ナシ。
まぁそのうち~くらいに思ってたんです。
カラダを壊して引退し、さぁこっから繁殖するよっ❗️と希望を胸に繁殖活動をしたのですが、まっったくの空振り…。
妊娠判定グッズを使っては ため息を繰り返していました。
妊娠予知グッズ系も試しまくりましたが アテにならないと悟るー。なんで なんで~
もぅため息つき疲れてボンヤリし始めた数年後…待ちに待ったその時がようやくきたたのです、赤ちゃんっ キタキタ~の気持ちに溢れ、妊娠生活の勉強などを始めました。
こーなると私スゴイんですよ、ガリ勉ちゃん (ホントはこの時期 バタバタしちゃダメなんだけどね)
でも
その小さな命は 育つことを2週間ほどで止めてしまったのです…。
こういう時は「黄体ホルモン」というホルモン剤を入れながら 妊娠継続を試みるのですが 、残念ながら何の役にも立たなかった。
ずっとずっと待ってたのに 楽しみにしてたのに どうして❓
泣きました
ボロボロになるまで
あんなに悲しい涙を出したのは、生まれて初めてだったんじゃないかと思います。
そんな私を見ていた旦那クン。しどろもどろでしたが ありったけの気持ちを込めて言ってくれた言葉…
「残念なことになったけど、今回のことがあって俺はやっぱり君との子供が欲しいって 本気で思ったよ。気をとりなおして また頑張ろう。」
「➡︎」
この言葉が 真っ暗だった胸の奥底に ストーンと流れ星のように落ちて、ようやく涙を拭くことができたんです。
男はこういう時には何の役にもたたない…どうすりゃいいんだ❗️と思って、彼もかなり悩んでいたらしいですが。
ありがとう
次の日 病院に予約をして、手術の予定を取りました。
その命は私のカラダの中にいるまま 静かに天にかえってしまって、体外に出ることも止めてしまったのです。稽留(ケイリュウ)流産って言うそうです。
なので中絶と同じように、子宮の中身を掻き出して流産をさせる処置を取らなければならなかったんですね…。
でもでも 意を決したワケですし、もうメソメソしないことにしたんですっ❗️
内診室の中で麻酔を打たれ、ボンヤリ意識が途切れていきまし……
目が覚めて車椅子で休憩室という布団が敷かれたお部屋に運んでもらい、しばらくお休みしました。
何を考えていたんだったかな
その時のことは、あまり覚えていません。
話をしておいた母 (旦那クンのママ) がお見舞いに来てくれて、しばらくカラダを休めた後 一緒に病院を出ました。
何か空っぽになった気持ちだけど、不思議と暖かな春風が優しい…。ぼーっとしながらそんなことを感じていた時
「ナオちゃん、お腹空かない?そんな気分じゃないかな⁈」
いえ、そんな気分です。
「海老フライが食べたい。」
お母さんビックリです
「 え…海老フライ 」
落ち込まないのかい、アンタ なノリのアクションでした。
目を向いた母の前で 海老フライを美味しくご馳走になり、ちょっとだけこれからの繁殖活動に希望を見出した一日なのでした。
最後まで読んでくれた方はありがとうございます。
To be continued
興味持って下さった方は、よろしれば私の仕事もちょろっと覗いてみて下さい
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