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後日談というか、今回のオチ。
我が妹、月火の巻き込まれた騒動、というか僕が月火によって巻き込まれた騒動にも一応片が付いた八月十五日。僕と戦場ヶ原は阿良々木家の墓参りをすることとなった。
僕としては何処かにデートをした方が何倍も良かったのだけれども、彼女に「私の入るお墓なんだから確認しておきたい」と言って、強引に連れてこられたのだ。
しかし今から墓の下見って。
浮気するつもりなんてさらさら無いが、なんだか着実に「詰み」の状態になっているようで、少し怖い。
ともあれ、墓参を大過なく終了し、ふと周りをみやった僕は奇妙な光景に気が付いた。
少女が三人ばかり、墓参りをしている。
少女と言うより、幼女に近いかもしれない。恐らく小学校低学年が一人、幼稚園児が二人、といった構成だ。
それだけならば普通なのだろうが、親らしき人物の姿が見あたらない。
何処にも。
奇妙に思ってしばらく見やっていたが、ふと脳裏をよぎる言葉があった。
『記録は記憶によって変えられる』
誰が言ったのだったか。羽川か、戦場ヶ原か、それとも忍野か。
直接聞いたとすれば、その辺りの誰かだろう。
だが思う。
記憶そのものが動かされても、記録が記憶によって改編されても、何も残らないなんて事は、有り得ないんじゃないだろうか。
人の生きた証は記録や記憶だけじゃない。
頭から記憶が消えてしまっても、消えない物も在るはずだ。
そう、例えば……
「実は幼女趣味でした、なんて言ったら世界中の幼女を存在出来なくした上に、宦官として私の側に使えさせてあげるからね」
連れ合いの、恐ろしい言葉で、僕の適当な思索は断ち切られた。
「さて、先祖供養も終わったし、あとは私達が人生を満喫する事で釣り合いが取れるわね」
妙にバランス感覚あることを言いながら歩き出す戦場ヶ原。
それに付いていこうとして、もう一度、少女たちの居るところに目をやる。
彼女たちは三人とも、こっちを向いて、小さく……嗤った。
そして、一斉にめいめいが別の方向に走り出す。
そう、まるで、蜘蛛の子を散らすかのように。