【二次】何物語「いずもスパイダー」~化物語異聞~其ノ陸【創作】 | リュウセイグン

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 準備。
 それほど大したことではない。出雲さんを廃墟の一室――このまえ神原とやりあった部屋――に連れて行って待機して貰い、僕は忍に血液を吸われて吸血鬼の眷属としての力を強化する。またしてもポンデリング争奪戦に敗れた彼女を捜すのはやや手間が掛かったが、前ほどではなかった。最近、塾内の行動パターンを把握しつつあるのかもしれない。
 前の時は、苦労したのでやや多めに吸わせるようにした。
 出雲さんも、現場に連れてくる間、8回ほど転びそうになったが、危うく完全な意味での転倒は避けられた。
「さて、準備は良いかい?」
「大丈夫だ、多分」
 重切はベルトに差したし、携帯も出雲さんのから僕の方に掛けておいた。これなら忍野も手こずらずに済むだろう。
「ここから先は、僕は話はするけど手は出せない、それは分かってるね? 阿良々木君」
「いつもの事だろ、分かってるさ」
 扉の中に進み、背後で重々しい音を立て、ドアが閉まる。
 障害物に隠れているのか、出雲さんの姿は見えない。
「スメラギ君」
 何処かの使えない戦術予報士みたいになってる。
「出雲さん、どこに居るんですか?」
 声が反響して出所を探りにくい。
「ここ、ここよ?」
 おかしい。幾らなんでもおかしい。響くからと言って、真上から声が聞こえる訳は――。
 あった。
 僕の真上に、出雲さんは居た。
 彼女は、天井に張り付いていた。
 六本の腕と、二本の足で。
「え……あ……」
 咄嗟の事で声が出ない。
「せせらぎ君、お願い。お願いだから、私に食べられてくれるかしら?」
 急降下。
 理性の判断ではなく、僕はその場を飛び退いていた。
 彼女が着地する。地べたに這うような格好で。
 僕は更に後退し、距離を取ってイヤフォンに向かって叫ぶ。
「お、忍野っ! どういう事だ、答えろ、忍野!」
「五月蝿いなぁ……現実を見て、分かってくれたかい? 阿良々木君。これは、こういう怪異なんだよ」
 出雲さんは、小首を傾げ不思議そうな顔で、こちらを見ている。当座、すぐに襲ってくる気配はない。その様子からは、全く今までと区別は付かない。背後から生えた、四本の腕以外は。
「どういう怪異だって!? 意味が分からないぞ」
「分かってるんだろ? 阿良々木君も。彼女は怪異に取り憑かれたんじゃない、彼女が怪異なんだ」
「人間じゃないって言うのか?」
 八九寺の時みたいに? いや、彼女は僕と羽川しか会っていない。だから気付かない事もあるだろう。でも彼女は、僕以外の人間とずっと過ごしてきた筈なんだ、だから。
「困ったなぁ。君は、怪異ってものをまだ誤解してるみたいだね。そういう怪異もあるんだよ、それだけの話だ」
「だって今までは」
「そう、今まではそうじゃない怪異しか見ていない。でも、短期間に沢山やり遭ったとは言え君の遭遇した怪異は何体だ?」
 鬼・猫・蟹・蝸牛・猿。
 片手で足りる者達。
 それだけだ。
「そう、それだけしかいない。怪異の定義って言うのはね、曖昧なんだ。さっきも言ったろう? 全ての名前が、全てを指し示す訳じゃない。怪異という言葉は、一つの性質しか指し示さない。『普通の人間の手には負えない物』これだけさ。いいかい、はっきりと、事実を言うよ。蜘蛛と彼女は別々じゃない、名前が違っているだけで、彼女自身が蜘蛛なんだ。だから、君は彼女を退治しなきゃならない」
「羽川の時みたいに出来ないのか?」
 彼女もまた、表裏一体だった。だから忍にエナジードレインをさせる事で、怪異は解消出来た。だから、或いは。
「………………」
 忍野は答えなかった。
 出雲さんが、いや、蜘蛛が、動き出した。八本の脚で、素早く。
「はばたきくぅん」
 横に動いて、それを回避する。
「何とか言え! 忍野!」
「じゃあ、言ってあげるよ。彼女は裏でも表でもない。彼女は彼女自身の意志で男を殺したんだ。何故だか分かるかい? 阿良々木君」
 分からない、分からない、あんなに優しそうな人なのに。
 人殺しだなんて。
 分かりたくもない!
「そうかい、教えてあげよう。君のせいだよ、阿良々木君」
 え……?
 今
 いま、なんていった。
 ぼくのせい?
「明敏な君なら、八百屋お七・快楽殺人者のテスト……これだけ言えば、分かるかな?」
 その二つを繋ぎ合わせた答え。
 そうか。
 そういうことか。
 八百屋お七は火事の時に避難所で会った男と再会がしたくて火を付けた。
 快楽殺人者のテスト、と呼ばれる物も同じだ。ある母親が、亭主の葬儀に出た時に、出席者の一人に惚れた。そして母親は、子供を殺した。
 何故か?

 答え・『葬儀で出逢った人と再会をしたいから』

「分かったみたいだね。一回目の墓参で、彼女は君に逢った。それだけならば、その出来事はそれだけで終わりだ。でも、君と彼女はもう一回逢ってしまった」
 そう二回目の墓参。二度目の主人が死んだ時にも、僕らは逢ってしまったのだ。
 それまで影でしかなかった蜘蛛が、姿を得た。
 僕が現してしまった、蜘蛛。
「一度火が付いたら、もう止められない。山女蜘蛛の動機は様々だが、最終的な到達点は一つ、愛する人を殺す、だ。愛する為に殺し、愛しているから殺す。そういう怪異なんだよ。だから、退治するしかない。分かるね? 阿良々木君」
 今までに無いほど、優しい忍野の声は、僕にとって逆に辛いものだった。
「でも、でもそれなら僕が……僕が」
 僕だけが犠牲になれば。
「そりゃ犬死にだよ、馬鹿野郎」
 忍野の声が、一気に冷たく、鋭くなる。
「君が、そう言い出すのは分かっていた。でも、目覚めてしまった蜘蛛はもう帰らない。だから、君が死ねば次の獲物を探し求める、それだけだ。いや、正確にはそれだけじゃないね。君の親しい人間、家族や、ツンデレちゃんや委員長ちゃん達にも累が及ぶ可能性がある。被害は拡大する一方だ。君が死ねばそれで終わりなんて、都合の良い事は起こらないんだよ」
 戦場ヶ原の言葉が、脳裏をよぎる。

 ――自分が貧乏くじを引けばそれで万事解決……なんて考えを、あまり持たないでね

 忍野はこれを見越して、僕と通話出来るようにしていたのだろう。
 僕が自ら死を選ばないように。
 どこまでも厭な奴だ。
「じゃあ、じゃあどうすれば良いんだ」
「阿良々木君、君の中にある人妻ちゃんへの気持ち、分かるかい?」
 出雲さんへの気持ち。
「重切を翳したまま、念じるんだ。後は、それで突けば良い」
 それだけ。それだけの行為が、僕には重かった。
「出雲さんは……どうなるんだ?」
「…………大丈夫だ、君が気に病む事はない」
 じゃあ、助かる可能性はある……と言う事か。
 だったら。
「かささぎくん、私、ずっと貴方の事が――――」
 聞きたくない、聞いてしまったら決心が鈍る。
 愛しているから、殺したいだなんて。
 けれど、僕も、僕も多分似ているのかもしれない。
 彼女に憧れを抱いた時間が、確かにあったのだから。
 そう、彼女は、紛れもなく――――――僕の初恋の相手だった。
 そんな彼女が、僕のせいで、こんな姿になってしまうなんて。
 重切の文字が、赤く輝き始めていた。僕の心に反応しているのか。
 愛しているから、相手を殺そうとする。
 愛しているから、これを相手に振るう。
 そこに、どんな違いがあるというのか。
 気付くと、出雲さんが、蜘蛛が、至近にまで迫ってきていた。
 飛び退こうとしたが、既に遅い。
 一つの手で、足を押さえられ、更に他の手で残る三肢の自由も奪われたまま、身体ごと抱きすくめられる。
 甘い匂い。
 柔らかい感覚。
 彼女の吐息が、頬に掛かる。
「またたび君、私、貴方と一つになりたいの。分かる? 男女が一時に番うなんて生やさしいものじゃ全然足りないの。私の中に、貴方の全てを取り込みたいの。だから、ね?」
 どこまでも優しい声だった。優しいままに、愛情のままに、彼女は僕を殺そうとしているのだ。忍野の声が何か言っている。でも、どうでもいい気がしてきた。
 だって、愛する人の中で一つに慣なれれば、それはもう幸福じゃないか。
 僕の表情の変化を看取ったのか、出雲さんも婉然と笑う。
「そう、良い子ね、きさらぎ君。すぐにあの子も、一緒にしてあげるからねぇ」
 あの子、あの子って誰だ?
「何て言ったかしら、名前も聞いたわ。そう、戦場ヶ原って言ったかしら?」
 戦場ヶ原ひたぎ。
 文房具を凶器にする狂気の人。
 絶対零度の舌を誇る女。
 蟹に憑かれた少女。
 そして。
 そして――――僕の恋人。
「ううあぁぁ」
 出雲さんの口から、喘ぎが漏れる。
 それは恐らく快楽ではなく、苦痛によるものだ。
「どう……し……て?」
 彼女の背中に、重切が深く突き立っていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい出雲さん」
 僕には、僕にはもう。
 本当に愛する人も、本当に愛してくれる人も居るんです。
 だから、貴方の欲望に応えてあげられません。
 僕が死ぬだけなら、それは構わない。
 でも、彼女まで巻き込むのは――――厭だ。
「そ……か。遅かっ……たの。ごめんね…………阿良々木君」
 その時、確かに彼女は僕の名前を呼んで。
 砂のように、さらさらと崩れていった。
 跡形もなく。
「い……出雲さん? 出雲さん! 出雲さん!」
 ダミーかと、辺りを見回しても、何もない。
 重苦しい音が、辺りに響く。出口のドアが開いたのだ。
「終わったみたいだねぇ、あ」
 ららぎくん、と言う前に、忍野は吹っ飛んだ。
 僕が殴り飛ばしたのだ。
「何が起きたんだ、出雲さんは、どうなったんだ!」
 もう一度、手を出そうとして、今度は失敗した。
 僕の手には重切があり、忍野はそれを掴んでいた。
 その手からは、血も出ていない。
「焦ってるねぇ、阿良々木君、何か厭な事でもあったのかい?」
「厭だとかそういう問題じゃない! 出雲さんはどうなったのか聞いてるんだ」
「君が一番分かっているだろう? 消えたよ」
「消えた……って」
「そのまんまさ。彼女の生きた証は、もう何も残らない。そういう方法だったからね」
「で、でもお前は、気に病むなって」
「そ、君が気に病む事はないのさ。何も残らないんだからね」
「そんな、それじゃ、それじゃ――――は」
 ?
 ――――。
 ――――?
 名前が。
 名前が出てこない。
「もう始まったかい。それは重畳だ。君に渡した重切、由来は『重し蟹』と一緒さ。つまりね『思いっ切り、切る』『思いを以て切る』『思いを断ち切る』って事。君の思いで、相手の思いを断ち切ったんだ。だから、思い出も全て切れる」
 じゃあ、本当に。
「何も残らないよ。だから、君が気に病む事じゃない、と言ったのさ。彼女は、全ての人間の心から消える。記録にしても然りだ。実のところ僕は眉唾だと考えて居るんだが、どこぞの高名な作家先生に依れば『記録は記憶によって変えられる』らしいからね」
「僕に、そんな役目を……他に方法は無かったのかよ!」
「君にしか出来なかったんだ。彼女を残さないほどの思いを持った人間はね。それに君が発端だ、これ以上の適任は居ない。別の方法もあるにはあるが……それじゃあ君は彼女が居なくなった事を覚えたまんまだろう?」
「余計な事をするな! 僕は覚えていたかった! たとえ辛くても覚えていたかったのに……」
 これは、僕の罪だ、だったらせめて辛くても、僕が覚えていなければ…………
 あまりにも、救いが無いじゃないか。
「でも、もう遅い。それに僕は少し安心したかったんだよ。君がいざという時、大事な物を守れるかどうか。大切な物を守る為に、他のものを切り捨てられるかどうか。そして……一つの気持ちを守る為に、他の気持ちを踏みにじれるかどうか……をね。君はちゃんとそれを果たしてくれた。僕も、もう心配はないよ」
 何が僕の為だ。
 巫山戯るな。
「忍野、僕はお前を許さないからな」
「結構結構、僕も老婆心で案じる事は無くなったからねぇ、君はもう僕に頼り切らなくても立派にやっていけるだろうさ」
「お前……」
 まさか本当に、そんな風に考えて。
 今回の事を……。
 今回?
 ………………。
「あれ? 僕は」
 いつの間に此処まで来ていたんだろう。忍野に用事を頼まれて、それから……。
「やぁ、阿良々木君。ご苦労だったね、待ちくたびれたよ。ご苦労ついでに今度、もう一つだけ用件を頼みたいんだが、ほら何だっけ、あの子。レイニーデビルの……」
「あぁ、神原駿河か」
「そうそう、あの子辺りとお使いを頼まれてくれるかい? 今度は神社なんだが」
「あぁ、構わないよ。じゃあ、次の日曜日にでも……」
 と、考え直す。あの、戦場ヶ原が果たして了承してくれるだろうか。
 そこからが問題だ。
「あ、一応、話してみるよ。それ次第でいいか?」
「全然OKだよ、じゃ、これを神社に貼ってくるって事で、よろしく」
 忍野はお札らしき物を差し出した。
「ん? お前、顔腫れてるけど、何かあったのか?」
「いやぁ、忍ちゃんにちょっと小突かれただけさ」
「またミスタードーナツか?」
「まぁ、そんなとこだね」
 またドーナツ絡みか。血液よりもドーナツでトラブルを起こす吸血鬼ってのも、どうなんだろう。
「じゃあ、忍野、またな」
「あぁ、阿良々木君、元気でね」
「なんかきな臭い言葉だなぁ」
 素で言ってしまったけれど、正確には、水臭い、だった。