当ブログでは今まで一切『けいおん!』関係の記事は書いてきませんでした。
特に大した理由もないけど、挙げるとすれば
「別に好きじゃないから」
ですね。
だからといって嫌いな訳でもなく、
「女の子カワイイね、でもそんなに面白くもないよね」
という程度。
僕の属性は
「燃えオヤジ萌え」
ですから、正直燃えなけりゃオヤジも一切出てこないこの作品への関心度は低いのです。
視聴動機にしてからが話題作りと考察の為に観てる感じ。
あ、5話はけっこう好きですよ。
『マッハ!!!!!!!』っぽいさわ子先生とか、『もののけ姫』っぽいさわ子先生とか。
兎も角、基本的には評価が高くないので、そういう状況の場合書いたとしてもちょっと批判的な記事になってしまったんじゃないかな。批判記事そのものを否定する訳じゃないのですが、『けいおん!』の場合、特に批判する程の物でもないんですね。ストーリーはああいう感じだし、作画は基本的に優秀だし。
で、今になって何故書こうと決めたかと言えば「人気のあり方、作品に対するエンターテイメントの新しい形のモデルとして解釈する事が出来るんじゃないか」と思ったからです。きっかけとしてはいーじすさんとこの記事
にある『ねとすたシリアス』の動画を観て、ああだこうだ語ってたから。
動画では、立川談笑さんが
「京都よりもそこへのインフラに対して『凄い』って言われてもなぁ……」
という様な事を仰っています。
この部分、直後に答えた若手の方々の話で方向が変わってしまった感があるのです(私の不見識でそう見えるのかもしれませんが)
談笑さんは「京都」を作品やコンテンツ、交通機関等の「インフラ」をネット社会の構造と捉え、結局は作品そのものを評価すべきなんじゃない? というような感じで仰られたのですね、多分。
一応補足しておくと、ここでの「京都」は「京都アニメーション」ではなく1200年の歴史を誇る「京都」の町並みです。
さて、談笑さんは結局は作品が中心になるべきなんじゃないかと言ったのですが、若手の人々は恐らく「作品成立とインフラの関係が切っても切り離せない」というような立場でいらっしゃるのですね。
こうなってくると「京都」という街並みをモデルとして考えた場合、譬喩が分かり難くなってしまいます。
「京都」の成立には、そりゃ多少インフラとの関係性もあるとは思うのですが新幹線とか関空とかよりずっと前から存在している都市ですから、そういった便利な交通手段と「京都」の成立は別次元の問題になってしまいます。
で、この代わりに入るモデルとして、奇しくも「京都」の名を関する会社が作った『けいおん!』が当て嵌まるんじゃないかと。
『けいおん!』は確かに面白いと感じる人の多い作品でしょう。
様々な販売戦略の元かもしれませんが、色々好調な売れ行きが数字で証明しています。
ただ、この作品を楽しんでいる人達は、作品そのものを楽しむと同時に付加価値を見出し、その付加価値がまた新しい物を産み出し……という形で様々に変化・進化していく傾向にあると思われます。
これは従来からキャラクター要素のみを抽出した同人などに萌芽が見えますが、近年ネット環境の整備に伴ってMAD等が誕生していった先にある物だと思われます。
『けいおん!』で特に顕著なのはプロダクト・プレイスメント
に似た展開です。
参照して戴いた方が早いかもしれませんが、プロダクト・プレイスメントとは劇中に商品を登場させ、CMの代わりに使う手法です。
映画『トゥルーマン・ショー』
は、主人公の知らぬままにプライベートがそのままドラマとして流されているので、CMがプロダクト・プレイスメントで行われており、住民がやたら不自然に私物をアピールするシーンがありました。
ウィキの記述によると『理由なき反抗』
が源流らしい…………って、
ジェームス・ディーンネタ2連発じゃないか!!
全然意識してなかったのに、何だかよく分からない因縁を感じます。
兎も角、『けいおん!』劇中に登場する小道具が特定されて売れ行きが伸びるという現象が起きているようです。これもまた作品の付加価値によるものと言えるでしょう。
恐らくは提供を受けている訳ではなく、デザイン重視でやったらファンが食い付いた……ぐらいの感じだとは思います。
結構CMとしてやったら逆に嫌われそうだしね。
ただ色々と作品世界以外での盛り上がりが大きいので、どういう風に『けいおん!』に付随する現象を喩えられるかなぁと色々考えていたのです。
始めに考えたのはハブ空港
でした。
ハブ空港を中心に、他の小規模な空港があり、それがまた他のハブ空港に収束するという網目状の構造です。
しかしこれだと、作品に対する価値観の多様性が表現しきれないし、大衆も一個の塊のように見えてしまうので難しいところかなぁという気がします。
そこで代わりに思い付いたモデルが「植物園」でした。
つまり作品をネタの集合体として捉えるのです。
この解釈、合ってるかは保証しませんよ。
今までは基本的に植物園を訪れる事=作品を楽しむ事だったのですが、同人なんかはキャラクターという植物園の属性の一部を転用して違う枠組みやレイアウトで再現して見せてしまうものだと言えます。
そしてインターネットやパソコンを用いる事で、植物園の一部をコピーして切り取り、再構成する事が容易になりました。また、同じ種類の植物を自分で育てた結果を公表する場所も増えました。
結果『けいおん!』というオリジナル植物園の周りには
キャラクターを切り取り、違う場面に置いた同人植物園
OPやEDを切り取り、他作品と合成したMADの植物園
本編自体を改変したMADの植物園
音楽を自分で歌ってみた植物園
勝手に振りを付けて踊ってみた植物園
初音ミクに歌わせてみた・踊らせてみた植物園
劇中小道具を特定してみる植物園
劇中ヒロインと俺の結婚生活を妄想してみる植物園
等々、実に百花繚乱の趣となりました。
まぁ、これらの植物園は以前から認知されるところではあったのですが、その発達に京都アニメーション作品の寄与が大きいのは想像に難くないところです。
『涼宮ハルヒの憂鬱』と『らき☆すた』はまさにそれですが、何処まで予め考えていたかは分かりません。
しかしながら今回の『けいおん!』は、ある程度まで確信的にこれらを仕掛け、成功した一例だと言えるでしょう。
つまり『けいおん!』は単に作品世界に入り込んで楽しむのみならず、ユーザーの改変を予め意図して歌われたり編集されて楽しませる事を前提に作られた作品に思えます。
こうした楽しみ方はネットというインフラが無ければ存在し得ない形ですし、インフラと作品成立が不可分になっていると言ってもいいんじゃないでしょうか。ネットの構造上、このような形態の作品が今後増えていくのではないかというのが、恐らく『ねとすたシリアス』の若手組が語っている事ではないかと。
果たしてそういった未来が良いのか悪いのか…………答えは、神のみぞ知る。
そんな訳で京アニさんには、
是非とも『神のみぞ知るセカイ』をアニメ化して戴きたいものですッ!!!
以上、強引な結論に達しましたところで『笑点』お開きです。
P.S
もちろん桂馬は福山潤でお願いします。