獣の奏者 エリン 第22話 「竪琴の響き」 | リュウセイグン

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基本は誰でも知っているが、誰にでも分かる訳ではない。

――そして、殆ど誰もが守れない。





『獣の奏者エリン』の凄さは、毎回が細かいディテールの積み重ねでありさらにその回が積み重なって大きな流れを形成している点だと思う。
これは物語の初歩の初歩であろうが、本当の意味で実行出来ている作品はほんの一握りだ。

またこれはアニメ作品が30分×数クールで構成されている理由……というか「されるべき理由」でもあるだろう。
2時間~3時間の尺制限がある映画では難しく、TVアニメでしか描けない表現だと思うんだが、どうだろうか。

今回の話も、流れとしては単純なのだけれども一方ではカザルム学舎に入ったエリンが王獣の問題で竪琴を改造しようとする筋があり、もう一方ではイアルが傷付いた体のままサイガムルを追う筋がある。
そして一見無関係な両者は竪琴と王獣という二つの線で密接に結ばれている

イアルも、自分の命を救った王獣でなければ積極的に竪琴の製作に手を貸さなかったかもしれない
王獣が結果的に彼を守ったという事件は、根は優しいが無愛想で仕事から人間性のすり減りつつあったイアルがキチンと協力する理由になる。
こうして細部が繋がり合う事で、物語としての説得力を持たせドラマが紡がれていく。

そしてエリンの熱意が、他の様々な物にも変革をもたらすであろう予兆にもなっている。
それは幸いの時もあれば、災いになる時もあるだろう。
しかし最終的には、歪みきったリョザ神王国を根底から覆す程の大きな流れになるであろう事は疑いない。

ともすれば奇抜な発想に走ってしまいがちな昨今のアニメ事情に於て、これだけ丁寧に基本を守り、それによって素晴らしい作品が完成出来るのは僥倖としか言いようがない。
多少、気が早い結論になってしまった気もするが、それを早計と感じさせないだけの安定感がある作品だと思っている。

また今回も戦闘シーンが編集の仕方とメタファーの使い分けで、非常に巧みに演出されていた。
作画も良いんだろうが、それ以上に演出として上手い。
こういうワザが生きるのも、また根っこがしっかりしているせいだと思う。