獣の奏者 エリン 第15話 「ふたりの過去」 | リュウセイグン

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長文多し。

エリンの次なる旅立ちがやって参りました。
いつまでも幸せな時間は続かない、特にエリンの人生にはこれからも困難が待ち受ける事でしょう
しかし、この少女がそれに負かされるとも思えないのです



あらすじ

ジョウンの息子登場

ジョウンの過去話

迷うエリン

エリンも自らの過去を吐露

エリンの決意

王獣との再会



ジョウンの過去はだいた予想通り。
実直さから権力者に楯突いて、そんで失脚と。
子供が自殺してしまったというのは少しショッキングでもありますが、その辺りは今の世論も同じですからね。

高等学舎の卒業試験があんな小さい紙一枚というのは有り得ないですけれども、子供向けにするさい「テスト」の表現として一番分かり易いものを選んだのかな(官僚登用試験試験の例については科挙 を参照)
邪推かもしれませんが、実はオヤジが息子殺したんじゃないかとかそんな気すらします。
高官なら妾や子供なんて何人も居ますし、家名を汚した息子っていうのはそういう人間にとって邪魔以外の何者でもありませんからね。

また、子供は頭が固そうですが悪い人というわけでは無さそう。
ただエリンと馬合わないのが一目瞭然です。

戸惑っているジョウンに、エリンも自らの過去を話します。
彼らはその優しさからお互いの素性を一切聞かなかった
言いたくなかったのでは無いけれども、どちらかが言えば相手もまた言わなければならないだろうという無意識的な考えが躊躇わせていたんじゃないかな。

そして安穏だが束縛された生活を拒否するエリン。
ここで強い言葉を使うのは意志を示す為もありますが、きっとそれ以上に遠慮だと思わせない為
「嫌です」と断言出来るのも、二人の絆あってこそ。

協力を申し出るジョウン。分かっては居たけど、ジョウンは男ですよ。
「ずっとお前を私の子供だと思って来た。だから当然だ」
という、この男ぶり。こういうこと言う人大好きなんですよね。

『クレヨンしんちゃん』の戦国でヒロシがタイムスリップを決意する時「しんのすけの居ない世界に意味なんかあるか!」とサラッと言うシーンがあって、個人的にはエンディングのアレよりよっぽど感動してしまったんですね。

あんた漢だよ! っていうね。

それと同じ物を感じました。

山に登って、旅立ちを決意するエリンを祝福するかのように飛び立つ王獣
そこに流れる『雫』がまたいいです。

更にジョウンとの試験勉強。ジョウンは「ずっとお前と暮らしていたい」と言いましたが、お世辞でも何でもなくジョウンの本心だったのだと思います。

何故なら、ジョウンのような人間にとって都の人間関係や権力闘争に縛られながら教導師を務めるというのはもはや耐え難いはず。それなら自然と共に自分のペースを守って生き続ける方がよほどいい。
そして最高の素質と感性を併せ持つエリンは、彼にとってまたとない教え子だったでしょう。
最高の教師と最高の生徒、二人の関係はこれ以上ない程に理想的だったと思われます。

それを敢えて断ち切るエリンも、非常に芯の強い少女になったことがよく分かりますね。


余談ですがこの作品全体の特徴として、暗喩が非常に上手く使われています。
今回は特に多く、

寄り添う親子ロバ
山へはいる一匹狼
飛び立つ鷹(鷲?)

などがありました。

他の回ではお母さんの処刑シーンも上手くレイティング回避の暗喩を用いていましたし、イアルの登場回では迷子の仔猫が様々なものを想起させました。

今回のものは、
ロバ親子でエリンと母親、またエリンとジョウンの関係を示し
一匹狼で都から逃れるジョウンを示し
飛び立つ鷹で自立するエリンの心を表しました


殆ど動物で表現していますが恐らくは「獣の奏者」という首題に合わせての事なんでしょうね。
日本のアニメ界で最も(とまで言えるかどうかは分かりませんが)メタファーを好む監督は押井守だと思うのですが、それに連なるプロダクションIGの人間がこういった手法をよくしても、まったく道理と言えるでしょう。


時折、アニメ感想で殆ど全てを暗喩として解釈してしまう人がいるのですが、正直それらが本当にメタファーであるとは私には到底思えません。むしろこじつけに感じる場合が多い。
特にギアス感想とかね。
極端に暗喩を用いれば、暗喩そのものが中心となってしまいます。
物語の中でテーマや表現があり、それを深めるのが暗喩であって、多くなりすぎては主客が転倒する
だから押井やエリンが物語と暗喩の限界点(臨界点)じゃないかって気がするんですよね。