雑事に忙殺されて、これといった思考をすることもなく日々が流れていくのは、案外悪くもない、的なことを書いたのはほんの少し前の投稿だったと思う。動く瞑想なんて嘯いてもみたり。これは半分本音なんだけど、時間が少し経つと、全部が真実でもないような気がしてきた。
というのは、その悪くなさというのは実は、心からの喜びとは別物だと気づいたから。つまり、考える暇がない状況は、考えたくないことから目を逸らせていられるだけなのかも!?
わたしには、そこに意識を向けるのをずっと避けている一つの事柄がある。もちろんどんな人にも思いだしたくないことや、目を逸らしたいこと、考えると辛くなることくらいいっぱいあると思う。わたしもイヤな思い出や悲しい記憶なんかを語り出したら、年齢と同じくらいの数がワサワサと出てくるはず。でも、逃げている、避けている感覚というのはそれとは違う。とにかく、そこに意識を向けると、自分てダメなやつ、とクヨクヨしてしまう、そういう種類のものだ。平べったく語ると、若い頃の仕事関係の挫折感だ。投げ出した夢とか、生きなかったもう一つの人生とか、そういう青くさい感覚⤵️
そこに意識を向けると、自分はへなちょこで卑怯者で意気地なしでノーなしで、といきなり自分嫌い人間になってしまうので、そこで、考えたくない! 考えない! だって、できれば自分は好きでいたいもんね。
特殊な仕事だったので、同じ時期に頑張っていた仲間のその後の活躍ぶりは日々、いやでも目にするし耳にする。だから今、まったく関係のない日常の中で、それに比べてあたくしは、なんて気持ち悪い自分に出会う余裕がないのはたいへんありがたいのだ。なんか、この発想こそ一回回って超ネガティブかな。
この、やたら我が身を不甲斐なく感じる感覚に圧されないため、捻り出した回避法の一つに、「それぞれの島」を想像する癖を自分に課している。今素晴らしいあの人もその人も、自分とは別の遠く離れた島に住んでいて、それぞれの生活を送っているだけ。もう一続きの大地に居るもの同士ではなく、別々の島の上で、それぞれの空を眺めたり、島風に吹かれたり、植物の香りを嗅いで、その島ならではの食べ物を食べて...、そう、もうみんな関係ない、他の島の人なんだ、この地面は繋がってない!よね? みんな違う島で頑張ってみんな違う幸せを求めている、遠い世界の人だ、よね?
自分だけの島でお日様を仰ぎみている感覚は、とても自由で安らかだ。淡い自己肯定感にだって包まれる。
でも、波間を眺め、うわあ、なんて遠くに流されてきたんだろう、なんてひとりぼっちなんだろう、とかやり出したらもうダメ。ネガの振り出しに戻る。大慌てで、あれやこれらの雑事に没頭して思考停止に隠れ込む。
島を想像しては、島なんてあるのか、と問答を繰り返しているような人間て、
いやまてまて!
けっこううぶで思考が若々しいじゃないか、歳のわりに青くさくて、ある意味可愛いじゃないか!
やっとこさ懸命にクロールして、とりあえず小さな島を一つ見つけ、息を切らして泳ぎつくみたいに、たいていはこう自分をよしよししながら、ゼイハアゼイハア、と深呼吸だ。