と言うわけで、相当な野球好きじゃないとご存知無いかも知れませんが、我が横浜DeNAの選手会長でもある新沼慎二選手が引退を発表しました。
まあ、驚きました。
何が驚いたかってYahoo!ニュースのスポーツの所に記事が出た事ですよ。
いくら選手会長とは言え、通算142試合出場、本塁打4本で打率2割にも満たない選手ですから。
そんな彼も97年秋のドラフトの時は【超高校級捕手】と騒がれて、ヤクルト、横浜、日本ハムとドラフト2位ながら3球団が競合する逸材でした。
余談ですが、この抽選の際、順番が間違ったまま行われ、先にクジを引くハズのヤクルトが抗議をするも受け入れられず、横浜が交渉権を獲得するという珍事がありました。
ちなみにヤクルトのハズレ2位は五十嵐亮太だったりします。
良かったね、外して。
ハムは小田智之だから、まあ、いいや。
さて、そんな逸材として入団した新沼君ですが、98年と言えば優勝した年です。
つまり、谷繁が完全に一流の仲間入りした年です。
まあ、実際谷繁の後継者候補の一人だったわけですが、ここで彼の不運がありました。
ちょうどその頃の横浜は高卒の捕手を取りまくってた時期。
95年…相川、96年…鶴岡、杉山。
ちょうどこの3人がファームで切磋琢磨していた頃です。
上は谷繁と秋元で詰まっているから、良い成績残しても上がれる要素も無いので、相川は下で外野やったりしてましたね(9笑
今思うと、この時期に経験を詰めなかったのが痛かったのかも知れません。
まあ、ドラフトの順位では前述の3人より上なのでチャンスはたくさんあったと思いますが…。
そういや、スイッチにも挑戦してたね。
そして、谷繁のFAで中村武志や中嶋聡がいた時期を過ぎて、相川鶴岡時代へ。
この頃から3番手捕手として、たまに1軍に呼ばれるようになりましたね。
(杉山はロッテへ)
06年、牛島政権2年目で最下位に沈んだシーズンでしたが、新沼は記念すべきプロ初安打を川上憲伸から本塁打で飾りました。
ちょうど中継を見ていたんですが、初ホームランなのは分かったいたのですが、初ヒットとは調べるまで気付きませんでしたね。
そして、鶴岡がトレードされ、相川がFAするのですが、この頃には武山、斉藤俊が力を付けて来て、相変わらずの3番手。
斉藤がトレードされるも今度はルーキーの細山田が起用されたり、FAで野口、橋本が来たりと一向に状況は変わらないまま。
しかし、FAで来たポンコツ達が使えない状況で何かと重用され始めます。
そして、2011年。
村田の後を受け、選手会長就任。
正直な話、いつクビにされたりトレードに出されてもおかしくない選手でしたが、人望の厚さが彼を選手会長にまで押し上げました。
石巻出身の彼としては震災の事で奮起もあったでしょうが、この年、自己最多の出場。
しかし、今年は鶴岡の出戻り、黒羽根、ルーキー高城の成長で出番はほとんど無く、戦力外の噂が出ていましたが、自ら引退を決意。
生え抜きの野手としては一番長い在籍年数を誇るわけですが、球団では何らかのポストを用意するとの事らしいです。
自分はですね、彼はきっと良い指導者になると思ってます。
まずは下のバッテリーコーチから何か始めて、2軍監督、いずれは上も…。
選手がこの人の為にと思わせるような、そんな人間性の良さを持ってると思いますので。
もし、良い指導者になるのであれば3球団競合した価値があるってもんでないの。
ちなみに新沼が指名された年のドラフト。
1位谷口
2位新沼
3位関屋
4位田中充
5位宮内
まあ、酷いわな(9笑
新沼の通算成績。
試 合 142
打 数 215
安 打 42
二塁打 3
三塁打 0
本塁打 4
打 点 14
盗 塁 0
打 率.195
新沼だけでこんなにブログ書けるんだから、実は大好きだったんだね、私。
ハイライトは岩瀬から売ったサヨナラヒットと最初で最後になってしまったお立ち台。
今までお疲れ様でした。
今後はまだ未定ですけど、チームの為に最後まで尽力して下さい。
ありがとう新沼!
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