それぞれの家の神棚について、よく聞かれることがあります。
これで大丈夫なのかということや、何が宿っているのかということなど、色々な疑問がわいてくることもあるのではないでしょうか。
それについては、決まった作法があり、信仰されるものがあるのであれば、それに従われるのがよいかと思います。
それでも、これでよいのかと迷うことや、心配になる真意は、他の誰かに何かを言われたり、何かを読んだり、現代ではインターネットの様々な情報により、何が正しいのかが分からなくなってしまうのかもしれません。
出張に行くと、神棚や仏壇、木や石などについて、これでよいのかと聞かれることもあります。
ですが、そうやって聞かれる人の中で、障っているような状況の方はいらっしゃいませんでした。
逆に、まったくそういったことを気にもされていない方に呼ばれて行くと、あ。。これはよくないなという形になっていることがあります。
一時の気まぐれや、自分の欲の為だけに神棚を祀り、ほったらかしにしておくことはよくないと言えます。
大丈夫なのかと聞いてこられる方は、普段から気にされて、自分なりの形で敬っておられるから、気になさるのではないでしょうか。
そこには、その方とお祀りされている神様との信頼関係ができあがっています。
私が踏み込む領域ではないかなと思いますが、敬意を払ってご挨拶をさせて頂くと、いつもとても温かい気持ちになりました。
少しでも神様にとって
良い形であるようにと...
敬い
親しみ
大切に想う
そういった気持ちの中に
信仰の心があります
そこに多少至らないことがあったとしても、そういった想いのあるところに神仏が怒ったりするでしょうか。
時に私も、忘れたと思うようなこともありますし、よかれと思って供えたものを、同業者にえ~(-。-; と言われたこともあります。
それでもいつも温かいです。
ただ自分が間違ったと思った時は、謝ったりもします。
ひとつ言うとすれば、そんな家の神様もすごく怒ったことがありました。
それは昔、他の霊能者や祈祷師が私の家の仏像を触ろうとしたり、祀り方について色々なことを言って、その形を変えようとした時です。
それは、人が他人の家を挨拶や許可もなく、土足で踏み荒らすような行為だったのかもしれません。
実際にその方は、家の神棚や仏壇しか見えていらっしゃらないようで、先祖や家に対して挨拶もありませんでした。
それは、私の家の宗派が気に入らないことに加え、敬意も信仰も何もない方が断りもなく、勝手に触ろうとした行為だったのです。
結果的に、当時の私がそれについて迷ったことと、どんどん踏み込もうとする霊能者に、怒りが炸裂した形となりました。
家族は平穏でしたが、私とその霊能者だけが、結界の外に摘み出された感じの幕引きとなり、それ以来その霊能者と名乗る祈祷師は、私に近寄れなくなるような状況になったのです。
私はきつい灸を据えられるような出来事に心を改めると、何事もなかったかのように平穏に戻り、またそれが情けないなと知りました。
ただその時
慈悲を思わせるような光を見て、自分の中に揺るぎない信仰の形ができたように思います。
神棚の形は、家によってそれぞれ違いますし、波動や宿っているものも、憑るエネルギーも全然違います。
それは自分にしか分からないこともあるのかもしれません。
家と自分とその家の神棚とは、それだけ密の深い関係なんです。
他の人が断りもなく、入れる領域ではないと言えます。
家の神様がしてほしいなと思うことは、自然と自分がしていたり、何となく思いついたりもします。
自分の内に従うことは、自分の神様に従うことと同じなのかもしれませんね。
だから、自分が信じられなくなると、自分の神様も信じられなくなります。
信仰は
自分の内を育てることで
それは奇しくも美しくも
密の深いところに
ある日
花のように開き
その花のかたちは
それぞれの
信仰のかたちなのではないでしょうか
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神谷 奈月



