父の初七日過ぎまで田舎に居て、東京へ戻りました。
講座・セッションの延期で、
ご迷惑をおかけしました皆様、申し訳ございませんでした。
 
セッションについては順次、
メールにて代替日をご連絡をさせていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
 
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人ひとりが、
この次元から消えることによる事務対応はもちろん、
「隣組」や「本家・分家」的おつきあいの残る田舎なので、
様々な対応もあり、感情に浸る間もない慌ただしい毎日でした。
 
 
残された母のフォローもあり、しばらくは、
少しのんびり目の活動になるかと思いますが、
これも父のくれた人生の棚卸の時期。
次のステージへの
ステップとなることと思いますので、
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
 
 
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あまりに突然なことでしたが、
昨年末の私のソーラーリターン図や、
このところと今後数年間の、
自分に起こる星まわりを確認していたので、
朝早くパニクった妹の声が電話から聞こえた時、
「・・・そうきたか」と、妙に落ち着いていました。
 
 
予測していたわけではまったくないのですが
まったく考えもしなかったと言えば、嘘になります。
ほんの一瞬、とても小さな可能性として
フッと考えたこともある、ということ。
自分にまつわる、星まわりを 普段から確認していたからです。
 
 
星の配置から「起こる現実のそれひとつ」を
予想することはなかなか難しいのですが、
(星が示すエネルギーの状態は抽象度が高く、
現象化の可能性は広義に渡るので)
「そうか、そうきたか」とわかる情報は、
いつもちゃんと、示してくれています。
事が起こってみれば、それは確かに示されているのです。
 
 
 
 
アルコール依存やDVなど
トラウマになるような体験を
たくさんさせられた父ではありますが、
一方で、
誰よりも愛情深く、
仕事熱心で真面目な性分、
頼りにされ愛される人でもありました。
 
そのふり幅の大きさには、
自身が一番戸惑っていたことでしょう。
 
趣味が多くアイディアマンで、
なにをしても器用な人でした。
若い頃止めてしまい心残りだったバイクも、
60過ぎてハーレー乗りになり、存分に楽しみました。
 
神経質なまでに他人を気遣う癖と、
田舎の後継ぎ長男に生まれた重圧によって
形づくられたその「仮の性格」を
「今生の自分」とした彼にとって、
この世界は、
生きづらいところだったろうなと思います。
 
棺には、身体を壊すほど好きだったお酒を入れ、
最後に、髪の毛を一筋切って、もらってきました。
 
残った背骨は、
係の人が驚くほど太く頑丈で、
喉仏はその語源通りに、
まったく欠けることなく、
「仏」が合掌した形のまま残りました。
 
年をとっても失われなかった純粋さ、
魂から発する瑞々しい「生命力」と、
芯の太さの秘密を観た気がしました。
 
 
父が逝った星まわりを見るにつけ、
瞑想して魂と会話するにつけ、
この世のドラマを一緒に創造するための
魂友であったのだなあ、と実感しています。
 
お疲れさま、と、
ありがとう、のコトバしかありません。
 
 
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こちらに、
その日の星の配置を書いてみました。