「君は馬鹿正直だな。」とか「馬鹿に付ける薬はない」など、悪口界・使用頻度ナンバー1なこの言葉も、実は仏法由来なんだそうですよ。
ちょっと説明が長くなるかもですが、お付き合いください。🙇♀️
字に表すと「馬」と「鹿」で「バカ」ですが、「馬と鹿の区別もつかないもののことをバカと呼んだ」事が起源と思っている方が多いのでは?
でも実は、起源はいまだにはっきりしていなくて諸説あるんだそうです。
「あれ?じゃあ、仏法由来じゃないんじゃない?」
と思ってしまいますが、実は現在最有力なのが「仏法から誕生説」なんです!
サンスクリット後で「無知」や「愚鈍」を意味する「モーハ」という言葉があるんですが、これをかつて音訳した際「莫迦」「莫何」と漢字表記したそうです。
この2つの漢字読みはどちらも「ばか」。
そして、仏法にはこんなお話もあります。
かつてブッダの弟子に「パンダカ」という弟子がいました。
しかしこのパンダカ、物覚えが非常に悪く、ブッダの教えを理解するどころか、自分の名前さえも覚えられないほどでした。
このパンダカには実の兄がおり、時同じくして仏陀の弟子になっていました。
兄の方はパンダカとは逆に、聡明で優秀でした。
ある日、あまりに愚鈍なパンダカを憐れんだ兄は、
「お前が悟ことはできないだろうから、両親の元へ帰り親孝行をしたほうがいい」
と弟・パンダカに進めます。
しかし、パンダカはブッダの元で修行を続けたい。
でも、何一つ満足に出来な自分には、弟子の資格がない。
そう考えると涙がボロボロとこぼれました。
そこへブッダが通り掛かり、泣いているパンダカに「どうして泣いているのか」を尋ねます。
パンダカはブッダにありのままのことを話します。
するとブッダは箒を取り出し、
「今後、あなたは掃除だけをしなさい。
払いたまえ、清めたまえ。と唱えながら掃除だけをしなさい。
それが、あなたの大切な修行になります。」
と箒をパンダカに渡しました。
そして、
「自分の愚かさを知るものは、愚か者ではない。
本当の愚か者は、自分は優れていると思い込んでいる者の方である。」
と語りました。
ブッダの言葉に、「これなら自分にも出来る」と喜んで箒を受け取ったパンダカは、その日から一心に掃除をし続けました。
やがてパンダカは、一心に掃き清める事が仏として生きることに他ならないと、悟りを開いたそうです。
素敵なお話ですよね。
と、こうしたことから「仏法起源説」が有力とされている訳です。
「じゃあ、なんで今は「馬鹿」なの?」
って不思議に思いますよね。
これにも諸説あり、よく言われるのは中国・秦の時代にいた趙高という人物の故事。
当時の皇帝を差し置いて、政の実権を握っていた趙高。
実はとても悪いやつで、謀反を考え国を手中に収めようと考えていたのだとか。
しかし、誰が味方になり敵になるか判らない趙高は一計を案じ、皇帝の前に鹿を連れ出し
「これは珍しい馬です。」
と皇帝に献上しました。
しかしどう見ても鹿なので、皇帝は
「鹿だろう。」
と趙高に言います。
「いいえ。これは珍しい馬です。」
と趙高も引きません。
すると家臣たちの間にも「あれは鹿だろう。」「いいや、馬というのだから馬なのだろう」など意見が分かれて行きます。
そうです!こうして趙高は「誰が自分の意見に従い、誰が従わないか」を見極めるために、このような茶番を演じたのです。
この故事から「馬鹿」という表現が生まれたのではと言われています。
いろんなところで目にするこの言葉も、実はこんなに奥が深くて謎が多いとは・・・。
これだから「言葉の探究」って面白いですよね。😊