硫黄島の話 | ダンス・ダンス・ダンス

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『音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ』

〜村上春樹〜『ダンス・ダンス・ダンス』より

今日、12月15日で父が亡くなって、ちょうど四年。時間が経つのは早いな、って改めて思う。
僕はあまり霊感は強い方じゃないと思う。四年前のその日、自宅近所のジム(吹田駅前)から帰宅して玄関のドアを開けると、誰か男性の声をはっきり聞いた事を覚えている。夜11時くらい。声は、はっきりと心に伝わってきたけど、何を言ってたのかはよくわからなかった。意味もなく不思議だと思った。その30分後くらいに、姉から父の訃報を知らされた。

晩年、父の価値観は大きく変わった。父は仕事の関係で硫黄島に数年暮らす事があった。

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もともと父は無神論者。俺は神なんか信じちゃいないし、幽霊なんかいる訳ない。というような事を何度か言っていたと思う。でも、しばらく硫黄島で過ごして、帰ってきた父は僕にこう言った。
『イクオ、霊は存在するぞ』
それまでの父の価値観を知っている僕にとっては衝撃的な一言だった。

父は硫黄島で何度か心霊体験をしていた。
❶硫黄島は一般人の入島は禁じられていて、今は基本的に自衛官しかいない島だ。そして、自衛隊にはこの島を撮影した沢山の写真が保管されている。そのアルバムには、草原に寝っ転がる日本兵、銃を持った米兵、花の写真にうっすら浮かぶ人の顔、など沢山の心霊写真もファイリングされている。父はその写真を見て、はっきり米兵だとわかるものがある事に驚いたそうだ。あの島では沢山の米兵も亡くなっているから、当然かもしれないけど。(このアルバムが公開される事は今後もないのかもしれない)
❷そんな中、遺族が年に一度くらい島を訪れる事があるそうだ。今でも硫黄島(2万2000人が玉砕したと言われている)には無数の遺骨が埋まっており、収集の目処はたっていない。夜、遺族の一人が、父?の声が聞こえると言って、夜道を歩いて行った事があったそうだ。一人では危険なので数名が同行したが、正直精神状態が過敏になっているんだろうと周囲の人たちは思ってたらしい。遺族は知るはずもない地下壕をどんどん進んで行った。そして、その先に遺骨があった。身分証明を確認したところ、その人だと判明したらしい。
❸父は硫黄島でも、ジョギングをしていた。ただ、夜のジョギングは一人で走ってても誰かの声が聞こえる気がするということ、それが海の波の音と混じって不思議な気分になるということを話していた。

そんな経験をして、父は帰宅し、硫黄島での体験を僕に教えてくれた。心霊体験以外には、硫黄島の海はとてもキレイだということや、珊瑚礁があるということも。

僕は父が嘘をついてるとは思えなかったし、話の内容には客観的な部分が多々あるような気がした。そして、霊は存在すること。まだ弔われていない戦没者が多数いることを知った。硫黄島にはもともと島民がいたが、彼等は全て避難させられている。その島にいた日本兵は玉砕を覚悟していたからだ。だから、硫黄島での戦闘では民間人が避難にあうことはなかったらしい。日本が必死に、一日でも長く死守しようとしたこの島は、本土空襲の拠点となりうる場所にあった。島の形状からも、この島には空港をつくることが出来て、その空港はB52が列島を空襲出来る距離にあった。だから、日本兵は玉砕覚悟で、この島を一日でも長く死守しようとし、米兵はこの島を制圧しようとした。

戦争には沢山の悲劇があるけど、単純に正義と悪を決めることは出来ないような気がする。硫黄島は日本にとってもアメリカにとっても大きな意味をもった島だ。

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この時期、クリント・イーストウッド監督の『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』を借りて観る。
父の硫黄島での体験をきいて、この映画を観ると、また違った想いがこみ上げてくる。この平和をずっと維持していかなければならない、強く誓う。

安倍総理の硫黄島訪問。遺族の想いを代弁してくれているような気もした。


ご冥福をお祈り申し上げます。