暁のうた・外伝 双頭の鷲と真珠の守護者9
2021.9.11.
*こちらは、第二部「星の向こう側6」から、
クラウスが北方地域に入る前まで
(「翌々週への伴走 北を往く皇帝からの書簡と贈物」前)の話です。
まだ本編のこのへんまでご覧でない場合は、
本編からご覧になることをお勧めします。
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久方ぶりのセンチュリアの空は、
皇帝一行を歓迎するかのように晴れ渡っていた。
見慣れた街並みが懐かしく見えるのは、
やはりこの国に少なからず愛着を感じているからだろう。
国境を越えるまでは、この馬車の護衛も兼ねて、
外の風を感じられる場所で休んでいたが、
センチュリアに入国してからは、
荷台の奥の方へ移り、目立たぬようにしていた。
仮装はしているとはいうものの、どこで誰に目撃されるかわからない。
一行の中でも最後尾に近い位置にいるこの馬車が
市街地を通る頃には、
沿道を賑わせていたセンチュリア国民も数を減らしていた。
しかし、世界最強の皇帝御一行を目にした興奮と穏やかな日差しが、
一部の話好きな人々を沿道に留めさせていた。
ユートレクトの耳を素朴な一般民衆の話し声が幾つも通り抜けていく。
そのうちの一言が、彼の耳の奥まで入り込んだ。
「ローフェンディアの皇帝陛下がうちに行幸に来るなんて、
姫さま、頑張ってるんだねえ!」
姫さま、もとい女王がいくら頑張っても、
クラウスがセンチュリアに立ち寄ったとは限らないのだが、
このご婦人の言うことが、全くの見当違いというわけでもない。
センチュリアが行幸先に選ばれたのは、
彼がこの国で奉職している影響もあるだろうが、
実際クラウスが首脳会談をする相手は、自分ではなく女王だ。
皇帝が女王とある程度気心が知れてなければ、
この国が行幸先に選択されることはなかっただろう。
異母兄と現在の友好関係を築いたのは女王自身だ。
そういう意味において、頑張ったか否かと言えば、
彼女は非常に努力し成功したと彼は考えていた。
更に気になる一言が耳から脳に刺さったのは、
そのようなことを考えていたときだった。
「そうだろうけどさ、あんた、もう姫さまって呼ばない方がいいよ」
「え、どういうこと?」
彼自身もどういうことだ、と胸中で独白したが、
言われたご婦人も同様に感じたらしい。
「王宮ではもう、姫さまのこと姫さまって呼んでないんだってよ」
「へえ、そうなんだ」
「ちょっと前から、陛下って呼ぶことになったんだって。
昨日、魚屋のガルクさんが言ってた」
「そりゃまたなんで突然?」
「なんでも、大臣さまからお達しが出たそうだよ」
自分がいない間に、王宮でとてつもない変化が起こったようだ。
この類の訓令を出すとしたらベイリアルだろうが、
一体何があったのだろう。
興味深いご婦人方の話はまだ続いているようだったが、
馬車は王宮へ進んでいき、ご婦人方とは距離が遠のいていく。
それ以上は彼の地獄耳でも聞き取れなくなった。
女王が自らのことを陛下と呼べと言い出すはずはない。
たとえ天地がひっくり返っても、豚が空を飛んだとしてもありえない。
となれば、ベイリアル単独もしくは重臣たちの総意だろうが、
彼(もしくは彼ら)にそう思い至らせるだけのことを、
女王が行ったということか。
過去はともかく、現在の彼女なら、
そのような言動があってもおかしくはない。
クラウスが上座に座っているのは、
当然ユートレクトが下座にいるからだが、
女王が見たら文句の一つも言いたくなるだろう。
どうして自分は常に上座に腰かけられないのかと。
「そうして差し上げてください」
センチュリア王国軍にとって深刻な負担になっている。
「本当のところはどうなんだい?」
だが、思わせぶりな弟の返答に、反応しないクラウスではなかった。
「何がですか」
内心身構えたが、次の異母兄の一言で脱力することになる。
「あの二人、センチュリアで
婚前旅行をしゃれこんでいるのではないか?」
どこに目をつければ、あの二人が恋仲、まして夫婦仲に見えるのか。
「ありえませんね」
「そうかな、かなり親密のように見えたが」
「気のせいでしょう」
「いや、あれは相当の仲の良さに見えたぞ。
正面の回廊で私とアレクを待ってくれていた時にも、
あの二人からはそう、何か違う空気を感じたんだ……」
それからクラウスは、いかに二人が仲睦まじかったかを語り出したが、
ユートレクトはまともに聞いていなかった。
昔から皇帝陛下の恋愛感知器は、しばしば敏感すぎる反応を示し、
その度に彼とベルナルトを辟易させていたのだ。
異母兄の恋愛感知器は、
藍色表紙が吹聴する安易すぎる恋愛観に染まりきっており、
些細な事でもすぐ恋愛に結び付けたがるのである。
例えば、A嬢がB氏に笑顔を見せただの、
C氏がD嬢に席を譲っただの……
その程度のことで恋愛が始まるなら、
とうの昔に世界は平和になっている! と叫びたい次元で、
もはや妄想と言ってもよい範疇のものだった。
だが万が一、あの二人が本当に親密になっていたら……
想像しかけて、すぐさま激しい悪寒が背筋を走った。
ララメル女王とタンザ国王にしてみれば、非常に失礼な反応だろう。
「晩餐会の後、非公式会談だ」
やはりそうか、という思いと共に緊張感が走る。
このような緩急の切り替えは、兄弟共にすこぶる早かった。
「かしこまりました」
「ただ、その前にタンザ国王とも話すことになってね」
「縦貫道のことですか」
「そうらしい」
中央大陸の縦貫道建設は、
タンザ国王にとって垂涎の的であることは明らかだった。
可能ならば、自ら指揮を執って
建設現場に立ちたいと思っているに違いない。
自国や自らの利益は二の次で、
建築学に携わる者として純粋に助言をしたいのだろうが、
「タンザ国王は建築学の権威の一人だ。
有益な話は聞けると思うが」
天下のローフェンディア皇帝と言えど、
建築関係の専門的な話を漏らさず理解するのは難しいだろう。
しかも、今回対談するのがタンザ国王だけならばまだしも、
タンザ国王の後には女王との非公式会談が控えている。
専門外の具体的な話を消化することに、力を割かない方がよいと思うが、
異母兄は単独でタンザ国王と対談するつもりなのだろうか。
「専門家を一人同伴すればよろしいかと。
あれだけ人がいれば、建築に詳しい官僚の一人や二人、
随行しているのではありませんか」
「それはそうだが」
どうやら、クラウスは一人で対談に臨もうとしていたらしい。
顔を見れば明らかだった。
先日話した諜報部隊の件にしてもそうだが、
異母兄は能力がある故に、何事も一人で抱えてしまう傾向がある。
あれも本来ならば、ラルフ大公と直接交友があるとはいえ、
数年待つまでもなく信頼できる部下に対策させるべき話だ。
自分で処理した方が確実だと思う気持ちは、わからなくはない。
しかし、実のところは、
(兄上の配下には、まだ信頼できる部下が少ないということか)
大臣級の閣僚を自身の協力者で固められたのはよかったが、
それより下の側近たちも充実させたいと切望しているのではないか。
「むしろ、専門家を同席させた方が、奴は喜びます。
本気で自分の話を聞こうとしていると受け取るでしょう。
奴はそういう性格です」
「そうか?」
「そうです、ご安心ください。
もっとも、専門家を連れて行けば、多少話が長引くかもしれませんが、
有益な知識は充分に得られるでしょう」
何もかも一人で抱えていては後々辛くなりますよ、とは言えなかった。
もしもそう言ってしまえば、
異母兄の感情が負の方向へ傾くのはわかっていた。
なぜなら、今でこそ大分他人に任せられるようになったと自覚しているが、
彼自身も異母兄と同じ性分を持っているからだ。
「そういうことなら、同席させようかな。心当たりはある」
彼の見せない心情を汲んだかはわからなかったが、
クラウスはそう言うと、肩の力が抜けたような笑みをこぼした。
「昼食会はとても楽しかったが、その話は明日の馬車の中ででも話そう。
今から大臣たちと打ち合わせだ。まったく、落ち着く暇もない」
「お疲れさまです、行っていらっしゃいませ」
グラスを置いて再び部屋を出ていく異母兄に、
こちらも席を立って頭を下げると、
「今のうちに休んでおけよ」
異母兄の気楽そうな声音が耳を通り抜けた。
「お気遣い、恐れ入ります」