暁のうた・外伝 双頭の鷲と真珠の守護者9 | *Aurora Luce**

暁のうた・外伝 双頭の鷲と真珠の守護者9

2021.9.11.

 

*こちらは、第二部「星の向こう側6」から、

クラウスが北方地域に入る前まで

(「翌々週への伴走 北を往く皇帝からの書簡と贈物」前)の話です。

まだ本編のこのへんまでご覧でない場合は、

本編からご覧になることをお勧めします。

 

 

 

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**********

 

 

 

久方ぶりのセンチュリアの空は、

皇帝一行を歓迎するかのように晴れ渡っていた。

見慣れた街並みが懐かしく見えるのは、

やはりこの国に少なからず愛着を感じているからだろう。

 

国境を越えるまでは、この馬車の護衛も兼ねて、

外の風を感じられる場所で休んでいたが、

センチュリアに入国してからは、

荷台の奥の方へ移り、目立たぬようにしていた。

仮装はしているとはいうものの、どこで誰に目撃されるかわからない。

 

一行の中でも最後尾に近い位置にいるこの馬車が

市街地を通る頃には、

沿道を賑わせていたセンチュリア国民も数を減らしていた。

しかし、世界最強の皇帝御一行を目にした興奮と穏やかな日差しが、

一部の話好きな人々を沿道に留めさせていた。

 

ユートレクトの耳を素朴な一般民衆の話し声が幾つも通り抜けていく。

そのうちの一言が、彼の耳の奥まで入り込んだ。

 

「ローフェンディアの皇帝陛下がうちに行幸に来るなんて、

 姫さま、頑張ってるんだねえ!」

 

姫さま、もとい女王がいくら頑張っても、

クラウスがセンチュリアに立ち寄ったとは限らないのだが、

このご婦人の言うことが、全くの見当違いというわけでもない。

 

センチュリアが行幸先に選ばれたのは、

彼がこの国で奉職している影響もあるだろうが、

実際クラウスが首脳会談をする相手は、自分ではなく女王だ。

皇帝が女王とある程度気心が知れてなければ、

この国が行幸先に選択されることはなかっただろう。

異母兄と現在の友好関係を築いたのは女王自身だ。

 

そういう意味において、頑張ったか否かと言えば、

彼女は非常に努力し成功したと彼は考えていた。

 

更に気になる一言が耳から脳に刺さったのは、

そのようなことを考えていたときだった。

 

「そうだろうけどさ、あんた、もう姫さまって呼ばない方がいいよ」

「え、どういうこと?」

 

彼自身もどういうことだ、と胸中で独白したが、

言われたご婦人も同様に感じたらしい。

 

「王宮ではもう、姫さまのこと姫さまって呼んでないんだってよ」

「へえ、そうなんだ」

「ちょっと前から、陛下って呼ぶことになったんだって。

 昨日、魚屋のガルクさんが言ってた」

「そりゃまたなんで突然?」

「なんでも、大臣さまからお達しが出たそうだよ」

 

自分がいない間に、王宮でとてつもない変化が起こったようだ。

この類の訓令を出すとしたらベイリアルだろうが、

一体何があったのだろう。

 

興味深いご婦人方の話はまだ続いているようだったが、

馬車は王宮へ進んでいき、ご婦人方とは距離が遠のいていく。

それ以上は彼の地獄耳でも聞き取れなくなった。

 

女王が自らのことを陛下と呼べと言い出すはずはない。

たとえ天地がひっくり返っても、豚が空を飛んだとしてもありえない。

 

となれば、ベイリアル単独もしくは重臣たちの総意だろうが、

彼(もしくは彼ら)にそう思い至らせるだけのことを、

女王が行ったということか。

過去はともかく、現在の彼女なら、

そのような言動があってもおかしくはない。

 
この国に戻った時の楽しみができたようだ。
 
 
 
数日ぶりのセンチュリア王宮には、いつもとは違う空気が漂っていた。
クラウスが訪問したことによる緊張感だけでなく、
かつて感じたことのないものが、官吏たちに備わったように見えた。
 
官吏たちの眼差しに、意思の強さが増しているのを感じた。
かつての明るさと暖かさはそのままに保ちながらも、
責任感というか守るものを持つ自覚をしている顔をしていた。
 
自分のいない間に何が起こったのかはわからない。
だが、君主を本来の敬称で呼ぶことになって初めて、
官吏たちの自覚が一つ上の段階に成長したのかもしれない。
 
皇帝と女王、ララメル女王とタンザ国王らが会食している間、
ローフェンディア一行の大部分は、宿泊する部屋へ通された。
 
ユートレクトのような夜勤に当たる者たちには、
二つの大部屋が休憩所として用意されていた。
夕刻まで更に仮眠するための部屋と、
仲間と談笑したり早めの食事を摂るための部屋だ。
 
とはいうものの、近衛兵に化けたセンチュリアの宰相は、
どちらの部屋にもいなかった。
 
これらの大部屋には、夜勤の者たち全員が入る。
近衛兵だけでなく、ローフェンディア軍の兵士や官僚の中にも
夜勤に当たる者はいる。
正体を知られては困る宰相閣下は、ベルナルトの手引きで、
目立たぬよう皇帝の寝所に充てられた部屋へ直行していた。
 
皇帝の寝所として用意された部屋は、
センチュリア王宮の中でも最も格式の高い客室だった。
女王が即位して以来、この客室が使われるのは今回が初めてで、
彼自身この部屋に入るのは初めてだった。
 
家具や調度品は重厚な造りのものが多いが、それほど威圧感はない。
よく言えば親しみやすい、悪く言えば格調高くないとも言える。
彼にとってこのような雰囲気は好ましいものだし、
クラウスも寛いで過ごせるだろうと思うが、
長年ローフェンディア王宮に務めている者が見れば、
皇帝の寝所に相応しくないと目くじらを立てる者もいるかもしれない。
そのような佇まいの客室だ。
 
もっとも、クラウスがこの客室にいる時間は、そう長くないだろう。
今朝のあの話しぶりだと、異母兄は今夜の晩餐会の後、
女王との非公式会談を行うはずだ。
『あの方策』について話が及べば、会談が長時間にわたることは確実だった。
 
そろそろ君主たちの会食が始まる時刻だ。
あの四人はどのような話で華を咲かせるのだろう。
 
彼がゆったりと腰を下ろしているソファの前のテーブルには、
ベルナルトが確保してくれた昼食があるが、
もうひと眠りしてからいただくことにして、ユートレクトはソファに身を横たえた。

 

 

 

勤務開始の三十分前に起床し、遅めの昼食を摂っていると、
クラウスがオーリカルクの鉱山と加工所の見学から戻って来た。
 
「久しぶりにララメルとタンザ国王と会ったよ。
 まさかこんなところで会うとはね」
「そうですね」
 
異母兄はソファに腰を落ち着けるより早く上着を脱ぐと、襟元を緩めた。
まもなく閣僚たちとの会議、そして晩餐会と行事はまだまだ続く。
皇帝陛下は今しか寛ぐことができないだろう。
 

クラウスが上座に座っているのは、

当然ユートレクトが下座にいるからだが、

女王が見たら文句の一つも言いたくなるだろう。

どうして自分は常に上座に腰かけられないのかと。

 
ユートレクトが差し出したグラスを受け取ると、
クラウスは嬉しそうに礼を言って、冷水を一息に飲み干した。
 
「なぜ彼らはセンチュリアに来たんだい?」
 
義母兄の問いは、本来ユートレクトに聞かずともよいはずのことだった。
彼ら……タンザ国王とララメル女王がセンチュリアに滞在している理由は、
本人たちもしくは女王などから説明がなされているはずだからだ。
 
それをあえて自分に訊ねるということは、
説明された理由に疑念を持っているということだろう。
『世界会議』や首脳会談などの公的な予定がない限り、
複数の君主が一か国に集まることなど、通常ならありえないからだ。
 
だが、あの甚だ間抜けた理由を暴露してしまう訳にもいかない。
ララメル女王はクラウスと懇意だから大目に見られるかもしれないが、
タンザ国王の面子は完全に潰れてしまう。
 
「たまたま、お二人がセンチュリアを訪問なさる日が重なり、
 更にそれが行幸と重なってしまったようです」
 
女王と口裏は合わせていなかったが、
誰が考えてもこのような理由しか考えつかなかっただろう。
彼らがセンチュリアに来た理由が理由だけに、
完全無欠な擁護をしてやらなくてはという気も起きなかった。
 
クラウスも彼の口調から何かを察したのだろう。
 
「そうか。では、そういうことにしておこうか」
 
含みのある台詞ではあるものの、納得する姿勢を見せたので、
 

「そうして差し上げてください」

 

こちらも含みを持たせた言葉を返した。
 
ただでさえ、クラウスやローフェンディア一行の警護に
神経と人員を割かなくてはならない時に、
あの二人にまで人員が割かれている現状は、

センチュリア王国軍にとって深刻な負担になっている。

 

「本当のところはどうなんだい?」

 

だが、思わせぶりな弟の返答に、反応しないクラウスではなかった。

 

「何がですか」

 

内心身構えたが、次の異母兄の一言で脱力することになる。

 

「あの二人、センチュリアで

 婚前旅行をしゃれこんでいるのではないか?」

 

どこに目をつければ、あの二人が恋仲、まして夫婦仲に見えるのか。

 

「ありえませんね」

「そうかな、かなり親密のように見えたが」

「気のせいでしょう」

「いや、あれは相当の仲の良さに見えたぞ。

 正面の回廊で私とアレクを待ってくれていた時にも、

 あの二人からはそう、何か違う空気を感じたんだ……」

 

それからクラウスは、いかに二人が仲睦まじかったかを語り出したが、

ユートレクトはまともに聞いていなかった。

昔から皇帝陛下の恋愛感知器は、しばしば敏感すぎる反応を示し、

その度に彼とベルナルトを辟易させていたのだ。

 

異母兄の恋愛感知器は、

藍色表紙が吹聴する安易すぎる恋愛観に染まりきっており、

些細な事でもすぐ恋愛に結び付けたがるのである。

 

例えば、A嬢がB氏に笑顔を見せただの、

C氏がD嬢に席を譲っただの……

その程度のことで恋愛が始まるなら、

とうの昔に世界は平和になっている! と叫びたい次元で、

もはや妄想と言ってもよい範疇のものだった。

 

だが万が一、あの二人が本当に親密になっていたら……

 

想像しかけて、すぐさま激しい悪寒が背筋を走った。

ララメル女王とタンザ国王にしてみれば、非常に失礼な反応だろう。

 
安穏な会話の終わりは突然だった。
 

「晩餐会の後、非公式会談だ」

 

やはりそうか、という思いと共に緊張感が走る。

このような緩急の切り替えは、兄弟共にすこぶる早かった。

 

「かしこまりました」

「ただ、その前にタンザ国王とも話すことになってね」

「縦貫道のことですか」

「そうらしい」

 

中央大陸の縦貫道建設は、

タンザ国王にとって垂涎の的であることは明らかだった。

可能ならば、自ら指揮を執って

建設現場に立ちたいと思っているに違いない。

自国や自らの利益は二の次で、

建築学に携わる者として純粋に助言をしたいのだろうが、

 

「タンザ国王は建築学の権威の一人だ。

 有益な話は聞けると思うが」

 

天下のローフェンディア皇帝と言えど、

建築関係の専門的な話を漏らさず理解するのは難しいだろう。

しかも、今回対談するのがタンザ国王だけならばまだしも、

タンザ国王の後には女王との非公式会談が控えている。

 

専門外の具体的な話を消化することに、力を割かない方がよいと思うが、

異母兄は単独でタンザ国王と対談するつもりなのだろうか。

 

「専門家を一人同伴すればよろしいかと。

 あれだけ人がいれば、建築に詳しい官僚の一人や二人、

 随行しているのではありませんか」

「それはそうだが」

 

どうやら、クラウスは一人で対談に臨もうとしていたらしい。

顔を見れば明らかだった。

 

先日話した諜報部隊の件にしてもそうだが、

異母兄は能力がある故に、何事も一人で抱えてしまう傾向がある。

あれも本来ならば、ラルフ大公と直接交友があるとはいえ、

数年待つまでもなく信頼できる部下に対策させるべき話だ。

 

自分で処理した方が確実だと思う気持ちは、わからなくはない。

しかし、実のところは、

 

(兄上の配下には、まだ信頼できる部下が少ないということか)

 

大臣級の閣僚を自身の協力者で固められたのはよかったが、

それより下の側近たちも充実させたいと切望しているのではないか。

 

「むしろ、専門家を同席させた方が、奴は喜びます。

 本気で自分の話を聞こうとしていると受け取るでしょう。

 奴はそういう性格です」

「そうか?」

「そうです、ご安心ください。

 もっとも、専門家を連れて行けば、多少話が長引くかもしれませんが、

 有益な知識は充分に得られるでしょう」

 

何もかも一人で抱えていては後々辛くなりますよ、とは言えなかった。

もしもそう言ってしまえば、

異母兄の感情が負の方向へ傾くのはわかっていた。

なぜなら、今でこそ大分他人に任せられるようになったと自覚しているが、

彼自身も異母兄と同じ性分を持っているからだ。

 

「そういうことなら、同席させようかな。心当たりはある」

 

彼の見せない心情を汲んだかはわからなかったが、

クラウスはそう言うと、肩の力が抜けたような笑みをこぼした。

 

「昼食会はとても楽しかったが、その話は明日の馬車の中ででも話そう。

 今から大臣たちと打ち合わせだ。まったく、落ち着く暇もない」

「お疲れさまです、行っていらっしゃいませ」

 

グラスを置いて再び部屋を出ていく異母兄に、

こちらも席を立って頭を下げると、

 

「今のうちに休んでおけよ」

 

異母兄の気楽そうな声音が耳を通り抜けた。

 

「お気遣い、恐れ入ります」

 

クラウスの声には、自身への純粋な思い遣りだけでなく、
幾つもの複雑な心情が込められているのを、感じずにはいられなかった。
 
 

 

(つづく)

 

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