復活祭の日に、映画『オッペンハイマー』を鑑賞した。

キリストという「愛」が復活する特別な日にこの映画を観たのは偶然のこと。

どんな偶然にも意味があるように、それはとても大切なことだと気づいたので、記憶を留めるために、ここにこの長編映画の感想を記録しておこうと思う。

 

まず、鑑賞後に知ったのだけれど、アカデミー賞を受賞したこの映画は世界で大ヒットし、その興行収入は映画『ボヘミアン・ラプソディ』をはるかに超えるということに驚いた。なぜ?という疑問が浮かび上がる。ノーラン監督が原爆開発者の話をエンタメ化したからなのか、毎日戦争のニュースが届くからなのか、あるいは人類が核兵器廃止を本気で願っているからなのか・・・、さて。

 

 

 

登場人物、ほぼ全員が精神錯乱者

 

オッペンハイマーは、原爆の開発者。

彼は、大学の教授にダメ出しされた学生時代、憎しみを込めて教授の青いリンゴに青酸カリを注入した。それほど、直情的で精神的にヤバイこの人物がやがて優秀な科学者となって原爆を開発していくことになる。

 

第二次世界大戦を勃発させたドイツのナチスを倒すために、国と国は巨大な「エゴ」を振りかざして戦い、アメリカの科学者たちもまた、「ドイツよりも先に核兵器を開発しなくてはならない」という善意なき「エゴ」によって「灰が詰まった瓢箪」(ネイティブインディアンのホピ族は原爆をこう呼ぶ)を生み出していった。

 

この映画の登場人物は全員、精神的にどこか病んでいて、どこかが奇妙だ。

軍人はドイツに勝たねばならないと自分の任務に躍起で人に対して高圧的だし、中にはスパイもいる。一人の科学者は原爆の後に水爆を推進しようとするし、一人の男は「自分はオッペンハイマーに軽蔑された」という実に卑屈で卑小な思い込みで、オッペンハイマーにスパイの罪をなすりつける。

しかも、登場する女性たちもとことん病んでいる。オッペンハイマーが愛した共産主義者の女性は精神的に病んで自害してしまうし、結婚相手の女性もアル中になってしまう・・・。

 

つまり、登場人物のほぼ全員が精神錯乱者で、病気なのだ。

この異常さは、戦争という時代が引き起こしたものかもしれないし、数百年をかけてじわじわとむしばまれてきた人類の結果なのかもしれない。

ともかく、全ての登場人物は、知恵の実のリンゴを食べてエデンの園を追い出されたアダムとイブの子孫である「人類の病んだ終末」を表現するのに十分すぎる設定になっている。

(注:ただ一人の科学者だけ、人類を破滅させる爆弾を作ってはならないと反対して、マンハッタン計画から退いていました。)

 

時代に飲み込まれた科学者とダライ・ラマの平和のメッセージ

 

 

 

 

人は本来、男女が和合して愛し合い、温かな家庭を作り、その愛に守られながら、幸せに生きることを望んでいる。

それが手に入らない状況のなかで、オッペンハイマーはそれとは真逆の温もりや安らぎのない家庭で、歪んだ夫婦関係のなかで、人類が食べてはいけない毒リンゴを開発していく。

 

平和主義者と言われるアインシュタインもこの映画に登場するけれど、彼はマンハッタン計画に参加しなかったものの、原爆開発への道筋を作ってしまった張本人だ。戦後、アインシュタインは「あの時は、そうすることしかできなかった」とインタビューで語っている。

 

誰一人として人類を滅亡させる兵器の開発を止められなかったことが、とてつもなく切ない。優秀でありながら精神的に病んだ科学者たちが、大きな時代のうねりに飲み込まれながら、任務に向かって突き進んでいくその姿はあまりにも悲しくて、映画の途中で目が潤んでしまった。

 

 

私は、スクリーン上で展開される、見るに耐えられない登場人物の精神状態や作為を、ダライ・ラマ法王の平和公演の言葉を思い出しながら眺めていた。

 

「煩悩に引きずられた間違った動機で科学技術の使い方を誤ると、人類に多くの危機をもたらすことになります。優れた技術を人間に役立つように、人のためになるように、という思いで使うなら、素晴らしいものを人間社会にもたらせるはずです。

逆に人を害する心で最先端技術を使うならば、危険度は高く、恐ろしい結果を招きます。

心の動機が大切です。動機によって、結果は全く違ったものになって現れるのです」。

                 ダライ・ラマ講演集『LOVE?愛ってなんだろう』より

 

 

 

核兵器が存在する世界の再認識

 

オッペンハイマーが手にした「プロメテウスの火」。

このリスキーな火を彼が手にしたことで、ボタンひとつで地球に死の灰を降らせる危険な兵器が人類にもたらされた。

 

アメリカ大統領は日々、そのボタンを押せるボックスを持ち歩く。

ロシアも中国も、イギリスもフランスも、インドもイスラエルも、北朝鮮も核の威力をちらつかせる。

私たちは今、原爆がもたらす恐怖が及ぼす不自然な均衡のなかで生きている。

それを思い出せ、忘れるな、とノーラン監督は言っているにちがいない。

 

ノーラン監督がこの映画を撮るきっかけになったのは、彼の息子が「原爆には興味がない」と言ったことだという。イギリス生まれのノーラン監督は、「私の少年期の80年代はアメリカとソ連の冷戦時代で、核の恐怖は身近だった」と語っている。

 

映画をご覧になった方の中には、広島や長崎が描かれていないため、これでは反核を訴えるには弱い、という意見もあるようだけれど、この映画はドキュメントではない。あくまで開発者の物語だから、ノーラン監督は悲惨な状況を視覚化させなかったようだ。

ちなみに、広島に原爆が落とされたと知った後のオッペンハイマーの心象風景の中に皮膚が溶けていく少女が一瞬映される。その少女は、ノーラン監督の娘さんが演じている。

そして原爆の開発者の物語を善悪の判断なく映画化したノーラン監督は、インタビューで「映画を観た人同士でどんどん話し合って欲しい」とも言っている。

何を感じるかは受け取り手に委ねている、というわけだ。

 

その監督の意図にすっかりハマった素直な友人は、私に電話をかけてきた。

そして、私たちは数時間、語り合った。言葉にするうちに、自分の思いが鮮明になっていく。しかも、私は話すことで、原爆を開発したロスアラモスに立ち寄ったことを思い出したのだから、やはり語り合うことは大切だと思った次第。

 

排除された日本とネイティブインディアンの犠牲

 

 

この映画では、日本だけでなく、原爆の開発によってネイティブ・インディアンが払った犠牲についても排除されている。

 

映画では、原爆にはカナダのウランを使用したと言っていたけれど、実際はアリゾナやニューメキシコ州のホピ族の土地やナバホのネイティブ・インディアンの土地から採掘されたウランが使われた。

調べてみると、当時、確かに多くのウランはカナダとアフリカから輸入されていたようだが(※)、広島・長崎に使われたものはネイティブ・インディアンの土地から掘り起こされたものだ。

その時、採掘に雇われたのはネイティブ・インディアンたち。劣悪な環境下でウランの採掘に関わった人や採掘場の近くの人たちの間では、大地の汚染によって白血病や癌が多発した。

 

原爆の原点は「愛の欠乏」

 

この映画を観ると、「愛の欠乏」が人類を滅亡させる兵器を生んだ、ということがよくわかる。

私がこの映画を観たのは、復活祭の日。だから、こう記録したい。

 

人類が愛を取り戻して、復活する新しい時代はすでに始まっている、と。

 

これまでどこにもなかった平和と光溢れる愛の世界を生み出して、その新しい次元を一人ひとりが生きていく時代が来ている、と。

 

春分の日に宇宙の元旦を迎え、アクエリアスの時代に入った2024年の春。

 

「戦争の時代」と言われた20世紀は過ぎ、「知性の時代」に入った今。

半年遅れで日本で公開されたこの映画『オッペンハイマー』は、20世紀の混乱を見納めるための映画である。

 

もし、この映画を観るなら、「愛の欠乏」が、いかに歪んだ危険なものを生み出すかをよ〜く観ておくことをおすすめしたい。

この映画で私は、美しさも、喜びも、温もりもない「冷たい世界の終焉」を教訓として見届けた。

 

 

核を超えるために必要なこと

 

核兵器が存在する世界を生き抜くために必要なこと。核兵器の廃絶はもちろんだけれど、一番重要なのは、核兵器に勝るほどの愛のエネルギーを私たち一人ひとりが放つことだ。

 

私たち一人ひとりが愛を取り戻し、愛と歓びのバイブレーションでこの地球を満たしていくことでしか、この世界は再生しないと私は思う。

 

そして、その新しい時代は、一人一人の心の中ですでに始まっている。

 

私たちの満たされた「愛」の記憶は、無意識の底に眠っているから、

それをそっと救い出そう。

その温もりと安らぎを感じれば、記憶に潜む傷は癒えるから。

 

そして、自分の中の両極、「男性性」と「女性性」をしっかりマリッジさせちゃうんだ。

内面の両極のエネルギーが溶け合えば、愛の欠乏はあっという間に埋まってしまうから。

 

自分のなかのアダムとイヴ。葛藤の多い二つの両極を結婚させることで始まる愛の復活。

 

外側ではなく内側の男女の結婚こそが、異次元世界へのワンウエイ・チケット。

その片道切符を手にした人たちは、もうすでに新しい愛の領域へ旅立っている。

 

ロスアラモス訪問の記憶

 

 

この映画について友人と語り合ううちに、消されていた記憶が突然蘇ってきたので、これも記しておこうと思う。

 

私は、25年ほど前に原爆が開発された「ロスマラモス」に立ち寄ったことがあったことを映画を見た数日後に突然、思い出した。

 

ある年の秋、私はサンタフェにジョージア・オキーフの美術館の取材に出かけていた。

憧れ続けたサンタフェに行き、行きたかった美術館に出かけ、アートな町を取材し、美味しいレストランで料理とワインをいただき、私は上機嫌だった。

 

タオスのプエブロまでロングドライブに出かけた日のこと。

コーディネーターが途中でロスアラモスに立ち寄ったのだ。取材スケジュールにロスアラモスは入っていなかったし、当時の私はロスアラモスと聞いても、ピンと来なかった。

 

車を降りて、小さなショップが並ぶ小さな町を歩く。数軒の店がある建物の奥に、中庭があった。標高の高いアリゾナの乾いた土地に育つ植物に秋の日差しが降り注いで、木々の緑がその葉を煌めかせていた。静かな午前中、あたりに人の姿はなかった。

その時、コーディネーターが言った。

「ここで、原爆が開発されたんです。あの部屋で研究されたんですよ」と中庭の向こう側にある煉瓦造りの建物の一室を指差した。

 

その瞬間、私の脳がフリーズした。

「えっ?」とそのまま、黙って立ちすくんでしまった。

私は、何も尋ねられなかった。

芸術の町、憧れのサンタフェと、悲惨な原爆となぜ関係あるかがその時、恥ずかしながら理解できなかったのだ。情報が私の意識にコネクトしてこない。その情報は間違いではないか、というような想いまでもが浮かび上がるほど、「原爆」という言葉が、急に私を重い気持ちにさせた。

世界から音が消えたような静寂の中で、中庭の向こうの薄暗い研究室をただじっと見つめていたことを思い出す。

 

今なら、すぐに取材を申し込んだだろうに・・・。

自分の無知が悔やまれる。

 

当時のポジ写真を探してみたけれど、私はその場所の写真を撮っていなかった。けれど、他の町とは違うどこか陰鬱な空気感と、コーナーのブティックのウインドウに飾られた妙に派手なワンピースの柄まで思い出せる。

 

カメラマンに連絡して確かめたところ、「確かに俺たちロスアラモスへ行ったよな」と返事。

その時の写真のポジは遠くの倉庫に入っているから今は探せない、という。

ちなみに、カメラマンの出身地は、長崎だ。

いつかその写真が出てきたら、20世紀最大の悲劇を生んだ負の場所としてアップしてみたい。

 

ラストに、一言。

 

私の本名は「睦世」。

 

第二次世界大戦が終わったのに、朝鮮戦争が始まったその悲惨さを見た祖父が「2度と戦争を起こさせてはいけない、戦争のない世界のために・・・」と名付けた名前。

 

氏名は、使命。

 

自身のために、そのこともここに刻んでおくことにする。

 

※参考: 年俸社会学論集26号『アメリカ原子力開発と犠牲区域の空間構築―ナバホ・ネーションにおけるウラン開発を事例に』 著:石山徳子

https://www.jstage.jst.go.jp/article/kantoh/2013/26/2013_5/_pdf/-char/ja