春は旅立ち。希望とともに、孤独を感じる方もいらっしゃるのでは、と思います。

 教授こと坂本龍一さんの四周忌を迎え、21年前(!)に公開された映画「トニー滝川」が公開されています。

 スクリーンの裏側に流れる静かなサウンドは、教授の作曲。名曲「Solitude」もその一つ。

 この曲はなぜこんなにも悲しいのか、と思っていましたが、この映画のために作曲されたと知って、頷けました。

毎日新聞にこの映画について書いてますので、ぜひ!

 

 

 

   “音のない時間”に出合う映画がある。

  過剰な刺激や説明に依存する現代のエンターテインメント作品とは対照的に、見る者の心の襞(ひだ)に触れ、その奥底にある静謐(せいひつ)さを呼び起こすタイプの作品である。

 市川準監督の「トニー滝谷」(2005年公開)は、そういう類いの映画だ。

 

   音がないといっても、サイレント映画ではない。ナレーションが物語を導き、登場人物も最低限の言葉を語る。

 

しかし、セリフは極端に抑制されていて、そのわずかな言葉が色のない映像に重なり合っていくものだから、物語はどこか遠くで起きているように感じる。

 

 原作は、村上春樹の短編集「レキシントンの幽霊」に収められた同名小説。短い物語の中に“孤独”という主題を凝縮した作品である。

太平洋戦争当時、上海のナイトクラブでジャズマンをしていた父・滝谷省三郎は、終戦後、息子が生まれるとアメリカ人ジャズマンの勧めでトニーと名付けた。

 生まれて3日で母が死に、孤独な幼少期を送ったトニーは、やがて美大に進む。周りの青年たちが悩み、模索し、苦しんでいるあいだ、彼は黙々と精密でメカニカルな絵を描き続けた。父親と同じく、孤独に生きることに慣れていたトニーは卒業後、イラストレーターとなって成功する。

  やがて、彼は家に出入りする編集アルバイトの1人に恋をする。トニーの心を打ったのは彼女の服の着こなしだった。

 

 「彼女はまるで遠い世界へ飛び立つ鳥が特別な風をまとうように、とても自然に優美にまとっていた。服の方も彼女の身にまとわれることによって、新たな生命を獲得したかのように見えた」(村上春樹著「トニー滝谷」より)

 

    彼女は服を愛してやまない女性だった。彼女には異常なほど服への愛着があった。トニーは彼女と結婚すると、生まれて初めて幸せな時間を過ごすことになる。この時初めて、トニーはそれまでの自分が孤独だったことに気づく。

 幸せな日々のなかで、妻はブランドの服や靴を日々買い求めた。衣装室を別に用意しなければならないほど、服は増えていった。

 そんなある日、トニーの幸せは彼女の死によって失われてしまう。主を亡くして抜け殻になったたくさんの服に囲まれながら、トニーはさらなる孤独感に身を投じていくのだった。

 

 この映画では、人物はしばしば画面の中で小さく、空間は広く表現されている。その広がりが表すものは自由ではなく、トニー滝谷の孤立した心象風景だ。

 部屋の家具や、何気ない通りの風景。それら全てに透明感があり、どこか無機質で、非現実的に見える。そして、妻が買い求める大量の服は消費社会の象徴として目に映る。

 主演は、イッセー尾形と宮沢りえ。トニー滝谷を演じるイッセー尾形は、感情をいっさい表に出すことはない。彼はトニーと父親の2役を演じていて、この親子に共通する孤独の影を巧みに表現している。

 宮沢りえが演じる妻もまた、現実と記憶のあいまにいるかのような儚(はかな)い存在に見える。彼女の美しさは画面の中で春の光のように輝くけれど、その光は長くこの世にとどまることはない。

 宮沢りえは、美しく短命の妻役と、その後に登場する若くて無垢(むく)な女性の役を見事に演じ分けていて、その演技力のすごさに圧倒された。

 

 本作を見ながら思い出したのが、感情を抑えた演出で知られる、昭和を代表する巨匠・小津安二郎である。小津監督は、家族の絆が揺らぎつつある時代に生きる人々の孤独や寂しさを、抑制された感情のなかで描いた。

 それに対して市川準監督は、すでに家族の絆が崩壊しきった現代に生きる人間の孤独を、ややデフォルメしたかたちで浮かび上がらせる。感情を抑制した静かな表現は似ている。けれど、小津が「崩壊の過程」を見つめていたのだとすれば、市川は「崩壊後の状態」を描いている。

 市川監督は、映画公開時のパンフレットの中でこう語っている。

 「僕たちが日常生活している世の中を眺めてみると、あの衣装部屋に近いんじゃないかと思うんです。多くの物、しかも一生かかっても買えない量の物、叶(かな)わない物に包囲されて、それがみんな『あなたにぴったりですよ』と言い続けているわけじゃないですか。その時の、孤独感、ひとりぼっち感みたいなもの、それが今を生きている人の心であるような気がするんですね」

 その“ひとりぼっち感”を際立たせるために製作されているからだろう。映画を見ている間、物語は遠くで起きていて、ガラス越しに眺めているような、触れられない時間を見つめているような、そんな不思議な気持ちになる。

 

 見る側と物語の間に距離を作っているのは、抑えた演技や抑制された映像だけではない。背後に流れる音楽もまた、見る側と一定の距離を保つかのように抑制されていることに気づく。

 音楽を担当しているのは、教授こと坂本龍一である。市川監督は教授に「あってもなくても良いような音楽をお願いします」と独特な依頼をしたという。出来上がったのは、感情を過度に誘導することのない、映像同様に抑制されたものだった。

 寂寥(せきりょう)感を際立たせる雨垂れのような音。ふたりを包み込む初春の日差しのような、ささやかなぬくもりのある音。孤独の底に広がる物悲しいレクイエムのような音。

 そこには、孤独に生き、愛を知り、愛を失った主人公の心の動きに寄り添う教授の優しさがある。

 ただし、本作の音楽には、「戦場のメリークリスマス」や「ラストエンペラー」のようなダイナミックさも、「シェルタリング・スカイ」のように感情を揺るがすドラマチックさもない。

 曲は叙情的で詩的に構成されている。しかしメロディーは展開されず、ピアノの一音一音の響きが、残響と共にゆっくりと反復されながら少しずつ形を変えていく。単調に繰り返されていくそのフレーズは切なく抽象的で、ミニマルなアンビエントミュージックとして機能している。

 見終わった後、教授の音楽はほとんど思い出せない。メロディーも、はっきりとは残らない。けれど、心身が静まり返っているのがよくわかる。そしてその静寂は、映画の中にあったものというより、もともと自分の中にあったものだと気づく。

 教授がこの映画に寄せた名曲「Solitude」は、私たちの中にある静かな“孤独”をそっと浮かび上がらせる。「トニー滝谷」は、そういうふうにして、“音のない時間”をこちらに手渡してくる映画である。(北澤杏里)