あなたがいてさえくれればいい。 | Step Forward ~いろんなことができるはず~

Step Forward ~いろんなことができるはず~

いろんなことができるはず。いつからでもできるはず。
キーワードは「Step Forward」。
夢に向かって、その一歩を躊躇なく踏み出すこと。
どんな今日になるのか、毎日が楽しみ。

2024年6月4日(火)

時は東日本大震災の直後、場所は東京。
ビジネスは大混乱、福島では原発が爆発して生きるか死ぬかのような環境の中、一方で日々の仕事はできる人が負担を負ってやっていく、そんな環境だった。

僕はといえば、多少立場のある仕事をしていたこともあり、ほとんど会社に詰めっぱなしに近いような仕事ぶりで、当時は女性が多い職場、部下も大半が女性の中、それぞれの家庭の事情を最優先してもらっていたことから、会社の最低限の業務を回すのも、きわめて厳しい状況だった。

できる限りの努力を尽くして数週間、計画停電の一方を聞いて練馬の自宅を真夜中に自転車で出て、会社に向かったのが日曜日の深夜から月曜の早朝にかけての話、それから数週間、その自転車は会社の近くに放置されていた。
多少落ち着いたかなとそう思った僕は、放置していた自転車を自宅に持って帰ろうと思ったのがその日だった。


練馬から当時オフィスがあった品川までは基本的には下り坂。
距離は遠いが実は楽。
これを逆向きに品川から練馬まで戻るとなると、ずっと上り坂となる。
そのころは電動アシスト車などないので、立ちこぎで坂道を上がっていくことになる。
その距離おおよそ30キロ。ママチャリで移動するにはあまりにも遠い距離だ。
環状6号線、7号線、8号線を超えて標高差50メートルを上っていく。もちろん、毎日毎日くたくたの中の金曜日、実際柿の木坂まで来たら足がつって進めなくなった。
休んで、休んで、さらに先に進んだが、とうとう永福町の駅まで来て、生まれて初めてといっていいほど精魂尽き果て、あまりのつらさに涙が出た。

永福町の駅前の自転車置き場に自転車を置いた時、僕の頭に浮かんだのは、地震発生以来自宅で小さな子供の面倒を見ている、一生で一番信頼するそのお母さんの部下に、会社に出てきてほしいという気持ちだった。
涙ながらに週明けから会社に出てきてもらえるよう懇願した。

あなた一人がいてくれれば、たとえ仕事が二倍になったとしてもやっていける。
そう思った。
あなたがいてくれなければ、半分の仕事もこなせないかもしれない。
そう思った。


しょせん一人の人間にできることには限りがある。
僕がどんな偉そうなことを言っても、10人分の仕事は、さすがにできかねる。

あなたがいてくれさえすればいい。
いろんな意味で、あなたがいてくれさえすればいい。
だから出社してほしい。
ストレートに伝えた。


あけて月曜、万障繰り合わせて彼女は出社してくれた。
勇気百倍だ。
いつもながらの前向きな仕事に対する姿勢に力をもらった。
是々非々、決してイエスマンにならず、良し悪しはっきり言いきってくれることに勇気をもらった。

月曜日。
永福町まで自転車を取りに行き、自宅までの残りの標高差約10メートルを走り切った。
ペダルは軽かった。