
3/2の説教
「ユダとペトロの裏切り」
旧約聖書 マラキ書2章10-11節
新約聖書 ルカによる福音22章47-62節
●一般的に、裏切られた方は深く傷つきますが、裏切った方はそのこと自体あまり覚えていないものです。
今日はイスカリオテのユダとペトロの裏切りについてお話します。
●ユダは祭司たちへの手引きをしたに過ぎません。
それは計画的な裏切りでした。
しかし、ユダは以前から暗にイエスさまを批判していました。→ヨハネによる福音書12章1-8節
●ユダは、イエスさまの救い主としての力を期待していました。
窮地に追い込まれれば、偉大な力を発揮されるのではないか。
ユダはそう思って、祭司たちへの手引きをしたのではないでしょうか。
ユダは自分の考えるメシア(救い主)像を求めていました。
イエスさまが第一ではなく、自分が第一になっていたのです。
●自分が一番大切だと思うものを第一にすることは、イエスさまへの裏切りになります。
イエスさまへの愛と献身を第一に考えましょう。
それは、私たちの周りの人々に温かく接し、手を差し伸べる生き方につながります。
●私たちもイエスさまを第一にすることが難しいです。
しかし、イエスさまを第一とする時、私たちは神さまから新たな恵みを与えられます。
●ペトロの裏切りは突発的なものでした。
自分の命が危うくなるのを恐れて、イエスさまを知らないと言いました。
ペトロは悔い改めの涙を流しました。
彼はイエスさまの言葉を思い出して、イエスさまの元へ帰っていきました。
●これに対して、ユダは後悔し首をつって死にました。
彼がイエスさまの道に立ち返ったなら、彼の未来は変わっていたでしょう。
ちなみに、全ての福音書はユダを批判していません。
彼がイエスさまの特別な弟子、12使徒に選ばれたことは私たちへの警告でもあります。
●ところで、ユダとペトロだけがイエスさまを裏切ったのでしょうか。
ヨハネ以外の福音書では、女性が高価な「ナルドの香油」をイエスさまの足にかけ髪でぬぐったことを複数の弟子たちが批判しています。
最後の晩餐の時、イエスさまが「この中に私を裏切る者がいる」とおっしゃると、それは自分ではないかと、みな自分のことを考えました。
誰もがユダ(裏切り者)になる可能性がありました。
●私たちは、ユダでありペトロであります。
私たちがイエスさまを裏切った時、悔い改めれば赦し〈ゆるし〉ていただけます。
ただし、「謝ればいいのか」と軽い気持ちでいるのではなく、真剣に赦しを願い求める姿勢が必要です。
…最後まで読んで下さって、ありがとうございます(*^_^*)
説教の内容を適確にわかりやすく伝えていけますように努めていきます

みなさんに、神さまの祝福となぐさめとが豊かに与えられますように☆