GWですね。
オープンにするには憚られる記事ばっかり
娘の話ではなく、読書中に出会った100年前の受験生とその父親のお話を。
📕📘📙
朝井まかてさんの本にはまっています。
牧野富太郎の『ボタニカ』から始まって、ぼちぼちと読み進めて。
『類』を手に取りました。
鷗外の末子。
森類を主役にした伝記風の物語。
そこから森鷗外の子供達の本が気になり、『鴎外の子どもたち』(森類)、『父と私 恋愛の様なもの』(森茉莉)、『晩年の父』(小堀杏奴)と読み進む。
漱石は高校生あたりで結構頑張って色々読んだ。
後期三部作は読みにくくて、薬のつもりで読み通した覚えが。
それに比べて、鷗外は『舞姫』を国語の時間に。
あとは有名どころを数作。
関連書籍含めてあまり読んでこなかったので、子ども目線の鷗外像はとても新鮮でした。
漱石は、家庭人としては扱い注意のイメージ。
イギリスからの帰国以降は、兎角神経衰弱と癇癪持ちのイメージがある。
記録で読む奥さんや子どもへのDV!?は怖い。
一方で
鷗外の子どもたちへの優しさは、現代の親バカなパパを見る様。
あたたかく包み込み、子供への愛情を隠さないお父さん。
同じ明治の文豪でもこんなに違うなんて!
※漱石も、長女次女には怖くて近づきがたい父だったけど。末っ子たちの頃には精神も安定して穏やかっだったとか。
長男(先妻の子)の文章は未読ですが。
歳が離れた、3人の子たち(後妻の子)が書き残した父像は、どれも「一番愛されていたのは自分」という想いに満ちた文章。
3人いた子どもたち、みんなにそう思わせるなんて、どんだけ愛が深い父親だったのだ。
奥さんへの言葉
「お前はもっと子供の話を一生懸命に聞いて遣らなくてはいけない。大きくなるほど子供は親に何んでも話せるようにして置かないと、思掛けない間違が起こるものだ」
(「晩年の父」本文から抜書き)
現代の育児書ですか…?
鷗外、父としてすごい。
でもさ、大正の母親も忙しいんだよ。
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さて
次女の杏奴の文章に、女学校への入学試験エピソードが描かれています。
杏奴ちゃんは1909年生まれ。
今から約100年前の受験生です。
やっとタイトル回収
算術が嫌いだった杏奴ちゃん。
鷗外はそんな娘に寄り添って、勉強を教えてます。
以下青字斜体は抜書き
「翌年の三月に受ける女学校への試験準備のために、昼夜を分かたず勉強ばかりして、(略)不得手な数学が恐怖と厭悪の入りまじった大きなかたまりとなって頭から私を押さえつけた。」
100年前にも、惨数女子がいらした様です!
「父は私に数学を教えるために学校を休ませて、毎日のように私を役所に連れて行って、自分の部屋で勉強させた。」
ち、父上…職権濫用がすぎる。
大正末期のことです。
今も受験前の1月…休むよね
「父も数学は嫌いらしかった。そして皆代数にして解答を出してしまうのだ。
「そんな事、学校じゃやらないさ」
私は余計わからなくなり、困って怒った。」
現代にも通じるエピソード。
方程式は使っちゃダメです!お父さん!!
そりゃ、子ども怒るよ。
こんなお父さんの伴走があって、彼女はめでたく3校受けた入試の2校に合格し、仏英和女学校(九段の白百合)へ入学します。
けれど入学した年の夏。
すでに60歳になっていた鷗外は、結核でこの世を去ってしまうのです。
「父は私のために歴史と地理の本を全部抜書して、解りやすくしてくれた」
きな子の目から見て、母親である私が、勉強ばかりを強いる鬼の様に見えるかもしれないけれど。
大正時代よりも、さらに先の見えない現代。
我が子を生かそう、生きていく道を見つける一助になれば、と中受を進めているんだと。
いつか気づいてくれたら良いなあ〜
そんなことを思いながら、GW
帰省して過ごしています。
今日は午前中に勉強して、午後は近所の大きな本屋さんに行く予定
私が図書館で適当に借りてくる本を読むことが多かったので、自分で選びに行けるのが嬉しい様です。
類くんはさらに勉強嫌いで、国士舘中学を退学してしまう…