バーンアウトシンドロームズ | もーもーのSLE奮闘記

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難病とともに生きる、ステロイドに携わるすべての人へ

今回は病気から離れた、日本のロックのお話。
もう46にもなろうというのに、私はロックが大好き。

中学生の頃はハードロックやメタルやハードコアにはまり、15の頃から、実家のある大阪でいちばん危険な地域の西成区にある、エッグプラントというライブハウスに、ひとりで通ってた。

インディーズが今より、ずっとアングラだった時代。
母親との確執をどうにかしたくて、たくさん本を読んでいた頃。生きにくさの答えを探して、頑張って入った高校も辞め、おじいちゃんの元で、縫製の修行をしていた頃。

音楽や本は人を癒す。
それがたまたま、私にはロックがハマった。
ずーっとライブハウス通い。

嫌でたまらなかった家を出て、おじいちゃんとおばあちゃんの家で過ごした。
ごはんを毎日作った。
そのおかげで、料理が大好きになった。 
ものづくりの今の基礎を教えてもらえた。

私には逃げ場があった。
ない子はどうするんだろ。ホームレスになるしかないのか。

いつかバブルがはじけ、縫製工場がつぶれ、時間が出来た。なので、大検の勉強を始め、半年の猛勉強をして受かってしまった。

せっかくだからと、大阪芸大の通信教育部の、工芸学科ファイバーコースに入学。三回生で、結婚、出産で休学期間を使い果て止む無く退学。
だから私の学歴は、中卒のまま。

なのに、コンピューターの専門学校に4年も通った彼 が、私を自分より学歴が上だと言う。中卒なのに。

楽しかった。普通の人がしていたキャンパスライフを、25歳を過ぎて体験した。

学歴コンプレックスを、解消できた。
逆転だけど、夢を叶えることができた。

30を超えて、今の旦那と出会った。
彼はちゃんとした企業に入ることが決まっていた。

不安定な仕事をしていたせいもあり、サラリーマンというのにも惹かれた。
運命の赤い糸があるというなら、旦那はまさにそんな存在だった。9歳も年下だというのに。

彼もロックが好きで、一緒にライブやフェスに通った。お互いに影響を受けあった。彼の知識と私の知識が共鳴した。

今の新しく立てた家には、防音室があり、今も音楽に関わる友達が遊びにくる。
充分な機材もいつの間にか揃ってる。

近くの小田原は音楽が盛ん。
いくつかのプロのミュージシャンがいて、それが旦那の高校軽音楽部の後輩だったり。

9月には、小田原アリーナで、小田原フェスを開催するくらい。旦那の友達がたくさん集まる。

ある日ネットフリックスで、ハイキューというバレーボールアニメにどはまりした。
人生の教訓というか、頑張れば強くなれるということを教えてくれるアニメ。

アニメに今更はまる46歳。
なんとなく、息子もみているうちに刺激を受け始めた。

その主題歌に、バーンアウトシンドロームズの、
「FLY HIGH‼︎」という曲が主題歌で流れた。
それこそ、ひとめぼれ?
曲と言葉のセンスが只者でなかった。

ライブのチケットを、旦那に頼んで抽選に応募した。
ああ、当たるといいなあ。

入院してから、毎日聴いてる。元気をもらってる。
息子もバーンアウトが大好き。カラオケで何回も歌ってる。

彼らの17歳の時のライブ。

ほんま17歳??
天才すぎ。自殺志願者が、鳥人間で再び飛び上がる歌詞の世界。文学好きを刺激する。この初期の曲が一番はまる。

入院とは関係なくてごめんなさい。
ほんと、大好きなんです。読んでいただいた方、ありがとうカナヘイハート