無職になってぼんやりして半年。早っ
妹達(キャリア組)と話していると、サラリーマンとして高収入を得られない自分に引け目を感じがちだ。
4月5月、色々と思考して、不安の原因や自分のトラウマを克服したつもりなのに、なお、いわゆる世間体のいいキャリア形成ができそうにないことに気落ちするのは何故だろうか。
長い間の癖はなかなか抜けないからか…。
あまりに暑い夏が明け、無職の日常が戻ったところで「橋のない川(住井すゑ)」を読む。
奈良育ちの母から『同和問題』という言葉は聞いたことがあったが、それは小中学校の社会の教科書に「えた・ひにん」という身分制度が現れたからで、その問題まで深く話したことはなく、部落問題を扱うこの名著は今まで本棚の飾りであった。
先祖がえたの主人公孝二とそれを取り巻く人たち、孝二の住む小森という地名は架空だが、その時代を取り巻く出来事や登場人物が実名のドキュメンタリー小説なので、ところどころで事件を調べたりして同和問題を始めて知ることになった。
それにしても、無知であることは、なんと無責任に社会の発展を止める要因になってしまうのだろう。史実を知らないと、今起こっている現象を正確に理解できないから、問題の解決にも繋がらない。
2年前、全米のベストセラー『PACHINKO(パチンコ)』を読んだ時も、新卒で入社した会社のあった、東成区あたりの在日韓国人問題をほとんど知らなかった事が発覚した。
子どもの頃から年に何度も通った鶴橋駅、新入社員時代にしょっちゅう連れて行ってもらっていたコリアン焼肉店。まさにそのエリアの問題だったのに!
「橋のない川」にも「パチンコ」に描かれる以前の韓国人に対する日本人の仕打ちが色々と出てきて、「パチンコ」で描かれている現象(大戦後)も、それ以前の江戸時代から紐解けばなぜそういう事態になったのか、より客観的に理解できたと思う。
8月に奥飛騨で見つけた御前橘。かわいい。
孝二は、文盲の祖母が文字や知識からでなく、その人生から差別問題や自分の置かれた環境を正確に捉えた物言いに、ホイットマン(孝二が傾倒していた思想家)の「老いたるは、なお麗しい」人間の姿を見る。そして、差別や貧しさに関わらず祖母が日々克服することに喜びを見出す逞しさを見て、自分の生きる道への確信を深めていく。
はっ
私のプライオリティは、まさにそれ、自分の可能性を見出すことだったのでは!?
新しい興味を見つけ出し、成功でも失敗でもやってみるという喜び!
やりたいことにチャレンジして、しかもある程度の収入も得て、何にも縛られないで自由に動ける。なんと恵まれたことだろうか。
サラリーマンとして高収入を得られないのは、会社組織や現代社会の仕組みに対して譲れない何かがあるからで、それぞれプライオリティが違うのだから、自分と他者を比較のは全く無意味なことだった。
閑話休題。
先日、大阪出身の友人とランチをした時に、彼女の知り合いが、出自がえたという人と結婚しようとしたら親戚中から反対にあって取りやめになった、と聞いた。それは8年ほど前のことだそう。
「橋のない川(1~6部)」は1974年に出版されているが、今も根本的には変わっていないかもしれない。
身分や人種の差別は、依然として根深い問題だが、それを考えるためにももっと歴史を知らないとな、と思う。
♡ハツシモの玄米にはまる
玄米がこんなに美味しいとは!もうやめられません。
孝二たちは年間通して米が足りないからお粥でしのいでいたけど、玄米にはまるなんていうのは、飽食の現代人の贅沢なんだなぁと感じる次第。