乳がんと判った3年前の12月…



今月から

15回の放射線治療

が始まりました…

遠方ですが

15回ならなんとか

熟ると思って…

覚悟を決めて

放射線治療も

お願いしましたが…




時はあと半月ほどで年末年始…。

年明けからの治療開始でもよかったのですが…

年明け早々に夫に身動きができなくなる状況を与えてしまうのは仕事と私生活に挟まれてまたイライラ💢するだろうな?と思ったので、年末年始を絡めて治療を行えるように、病院には少々ご無理をお願いする形になってしまいましたがそのように予定を組んでいただきました…おねがい


来週から始まるという頃から…

「本当に一度もキャンセルすることなくできるのだろうか…??」

と…何度も心の中で自問自答しました…。

しかしここまできたら一度もキャンセルすることなくやり遂げるしかないと…、心に強く言い聞かせて…、また…、当時まだ低学年の子供にもそのことでかなりプレッシャーを与えていたと…今振り返って思います…えーん


ある時子供が…

「お母さん…、もし病院に行けなくなっちゃったらどうなるはてなマークガーン

と聞いてきたことがありました…。

私は…

「みんなに迷惑がかかってしまって…、もう大変なことになっちゃう…。だから…風邪をひかないように◯◯もしっかりね!!」と…

とにかく家族で体調不良を起こさないように…必死に…自身の気持ちにも言い聞かせていました…おーっ!

この頃…子供はまだ時々お◯しょをしてしまうことがあり…、もしこの期間にやられたら…汚れたシーツなどをそのまま放置して行くわけには行かないし…、どうしようと…頭の中が🌀🌀…。

その時には…、突然だけど夫に後始末をお願いするしかない…と…一瞬考え…もやもや

しかし絶対に嫌な顔するだろうし、矛先がきっと子供に向いてしまう…ガーンガーンガーン

答えを出せずにそのまま治療初日へ突入ダッシュ

この私の緊張状態が子供に伝わったのでしょう…この期間一度もそのようなことはありませんでした…ぐすん


先ずは1週間づつ乗り切っていこうと考えたわたくし…

夫の日帰り東京出張を何度も見ていたので…“意外とできそう…うーん“思っていましたが…、いざやって見ると行って帰って来るだけで大変…ガーン

お洗濯だけは毎朝やって出て行ったものの…

家に戻って取り込んで…、お風呂掃除して、ご飯の支度しながら子供の宿題を見て、夜遅くなると朝起きれなくなるのでもたもたせずに就寝して…。

ウィークデイには掃除機をかける時間はありませんでした…ぼけー

子供が今の年齢ぐらいであれば…

お風呂掃除やお洗濯物の取り込み、掃除機をかけることくらいお願いすることはできたと思いますが…、当時それを子供にお願いするのは…

今までお母さんは家にいて、帰宅時には迎え出てくれるもの…と思っていた状況から…

突然連日一人でお留守番をする身になってしまったまだ低学年の我が子に…それをお願いすることはできませんでした…ぐすん

特に冬休みに入って数日後に子供と先行で帰省をした時は…、その時の準備を今から考えてもよくできたな〜と思います…あせる

ちょこちょこ準備はしていましたが…、夕方戻って翌朝の8時にはまた出なくてはならなかったので、その日は本当に必死に色々やってのけたのだろうなと思います…合格


治療の方では、副作用の吐き気が少し気になったので常に🤮袋をポケットに入れていました…。

(実際に吐くことはありませんでした)

治療が始まって初回から3、4日は少し副作用が出て、帰宅途中に気分が悪くなっていましたが…悲しいでも、酷くはありませんでした…。

感覚的には軽い悪阻のような感じでした…。


この期間はず〜と子供の帰りの時間に帰宅することはできなかったので…いつも新幹線の中から帰宅した時間を見計らって家に電話をかけていました。

毎回しっかり出てくれていましたが…

一度何度かけても出ない時があって…驚き

お友達のおうちに遊びに行ったのかしら??

でも…そう言う時は必ず連絡くれるのに…??

と…とっても不安になった時が一度あり…

数回目でやっと電話に出てくれた時は安堵しましたが…、しかし電話口の子供は随分と不機嫌…ショック

どうしたか理由を聞くと…帰って来てソファーでゴロゴロしていたらそのまま寝てしまったて…、それが嫌で不機嫌だったようでした…大泣き

いつもなら…「しょうがないよねぇ??」とさらっと言ってしまうのですが…、今回ばかりは毎日誰もいない玄関を開けて、用意してあるおやつを一人で食べて、宿題をして待っている…。

このことを思うとそうは簡単に言えず…、何か気が晴れることはないかと考えて思いついたのが大好きな🌀🌀寿司に行くこと…ニコニコ

丁度夫は忘年会シーズンでお夕飯無しの日が続いていたので…、帰ったら行こうと話したら機嫌が少しよくなり(単純ウシシ)“よかったニコニコ”と思ったことを思い出します…デレデレ


放射線治療自体は先程書きましたように気持ち悪くなる副作用は多少あったものの私はそれほど辛くはありませんでした…。

しかし…今書きました通り…、生活面では私は本当に大変でした…あせる

でも…もしかしたら子供が一番大変だったんじゃないかな??と今は思います…えー?

これは後から当時の担任の先生に聞いた話ですが…、その期間子供はよく忘れ物をしていたようでした…悲しい

まだ低学年なので翌日の準備は毎日チェックしていましたが…慌ててやっていたので見落としをしていたようでした…ショボーン

のちに担任の先生から…

「今まで全然そんなこと無かったのに…どうしたのかな?と思っていました…。」

と言われて…赤ちゃん泣き


我が子よ!ごめん!!ショック


そんなこんなでしたが…

冬休みに入った時には家族ぐるみで仲良くしている幼稚園時代のママ友から…

「お泊まりで預かりますよ〜」とお声がけいただいて…、都合でまだ帰省ができない状況だったので、連日子供と治療のために新幹線通院するかどうかを考えていた時でもあったのでこのお心遣いには本当に嬉しく…ありがたいなと心から思いました愛飛び出すハート


今思えば…この時に既に在宅勤務が主流になっていたら色々な面でもっと楽だったでしょうね…ニヤニヤ

この期間夫には遠くへの出張は避けてもらい…

何か緊急事態…大地震などが起きた時など学校へ直ぐ迎えに行かなくてはならない状況がもしあった場合を考えて、直ぐ迎えに行ける範囲(親戚などが一切いないので)で仕事をしてもらうようにお願いをしていました…ぶちゅー


帰省してからは子供もと一緒に治療に行きましたラブ

駅からバスに乗ったり…、ぷらぷら歩いて帰ったり…、帰り駅前の100均でおもちゃ買ったり…、一緒に土手から景色を眺めてみたり…。

治療に行っていたのにおかしな話ですが…チュー

一人で行っていた時に比べてとても楽しい通院となりました…爆笑


遠隔地からの放射線治療のための連日通院…

色々大変だったけれど…

今となっては…


これもいい想い出です…照れ


ハートキラキラ音符ブルー音符流れ星



乳がんと判った3年前の1月につづく…真顔





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