復興支援のボランティアのこと書きます。
・1日目(9日)
札駅21時発の
高速とまこまい号で
苫小牧フェリーターミナル集合だったのですが
わたしてっきり
JRだとおもっていたのだけど
窓口のお姉さんに聞いたところ
バスでした(∘❛ั⌔❛ั∘)あれれ
フェリーターミナルで
今回ご一緒する
NPO法人ねおすの方と合流。
AIR-Gのアナウンサー
ちばひろみさんもいらっしゃいました(・o・)
軽く自己紹介して
まさかのビール酌み交わして就寝。(笑)
夜にちょっとだけ
船内探検したんだけど
海猿みたいだった(^-^)b(笑)
・2日目(10日)
八戸に着港して
被害の大きかった
赤浜という地域をみてまわり
そのあと釜石の仮設商店街でごはんを食べて
片岸漁港というところの
がれき撤去をさせてもらいました。
ふつうに生活用品が流れ着いていて
なんともいえない気持ちで作業をしていました。
この日は橋野地区の集会所にお世話になり
現地の方に郷土料理をふるまって頂きました。
久しぶりにbottonトイレみた。(笑)
・3日目(11日)
朝ごはんででてきた
干し柿のてんぷらに感動した。
持って帰りて~!
とおもったほんとうに。(笑)
お世話になった
地元のお母さん方とお別れして
橋野地区を少し歩いてまわりました。
その後JR釜石駅に移動して
復興祈願祭の設置のお手伝い。
たくさんの想いが詰まった
キャンドルを並べました。
そのまま駅前にある
鎮魂の鐘の前で14:46にたくさんの方とともに黙祷しました。
サイレンが鳴り響いた瞬間
自分でもおどろくほどの涙が溢れてきました。
まわりのすすり泣く声に
また胸がぎゅっとなって
言葉にできない気持ちになった。
そこからまた移動して
仮設住宅や仮設商店街をみてまわり
釜石大観音というところに行ってきました。
これまた行った人にしかわからない
素晴らしい景色をみてきました。
少し話は変わりまして
その釜石湾には1200億円をかけてつくられた防波堤がありました。
その防波堤により
釜石湾への津波の到達が
約6分間遅くなったという研究結果が出たそうです。
ですが今回の震災による地盤沈下、海面上昇により
その防波堤は壊滅しました。
また、この防波堤のせいで他の地域への津波の影響が大きくなったのではという見方もあり
再建設への意見が割れているそうです。
この日は宝来館という
地元の旅館に泊まりました。
おいしいごはんと
2日ぶりのお風呂に感動(;_;)
宝来館に津波が押し寄せてきたときの映像をみたんだけど
もうほんとやばかった何も言えなかった。
・4日目(12日)
この日は朝から
根浜地区というところへ
漁師さんのお話を聞きに行きました。
家族をなくしても
気丈に振る舞う姿にまた涙が出てきました。
こんぶのしゃぶしゃぶをごちそうになり
海岸の清掃をしました٩꒰๑・д・꒱۶
その後また仮設商店街に行き
あづまっぺカフェでお昼を食べ
あんでるせんでパンを買って
もうすっかりここのとりこになりました。(笑)
悪天候により
帰りは八戸からのフェリーが欠航になり
青森からのフェリーにのることに。
夜はちばさんの紹介により
おいしいと評判の餃子屋さんへ。
わたしいままで
餃子食べてうめー!ってなったことないんだけど
キムチ餃子とみそカレー牛乳餃子バリうまだった。(笑)
・5日目(13日)
苫小牧フェリーターミナルから
バスで札駅に帰るつもりが
ねおすの方に車で送ってもらえることに。感謝(T_T)
まずターミナルで
1人ずつ今回の旅の感想言って
一本締め、握手してお別れ。
またいつかみんなに会いたいな。
・まとめ
今回このボランティアの話を聞いたとき
もう行くしかない、いましかないっておもったらカラダが震えて何も手につかなかった。
おかんにはものすごく反対されたけど
おとんが行ってきなさいって背中押してくれて
こうしてボランティアに行けるだけの丈夫なカラダとお金があって
色々自分の中でも葛藤があったけど
今回参加してほんとうによかった。
やっぱり自分の目で見て聞いて感じるものって大きい。
色んな景色をみたり話を聞いたりするたびに
こみあげてくるものがあった。
でもきちんとそれに向き合うことが出来てよかった。
人の強さと温かさってほんとうにすごいよ、すごい。
また行きたいとおもいます。
釜石のみなさん、ねおすのみなさん、今回お世話になった方々
ほんとうにありがとうございました。