「社会というのは、人の生存確率を高めるために存在する、一種のシステム」
と考えると、社会の存在意義というのも見えてくるかもしれない。
自然環境の中で、人間は生存する上で様々な脅威にさらされる。
飢餓。
気候変化がもたらす寒暖差や自然災害。
猛獣、ときには同種であるはずの人間。
個々の人間が、独力でこれらすべての危険を排除していこうとするならば、決して安息を得ることもないだろう。常に危険に身を晒しながら、それを避けるために全生活、全人生をかけねばならない。そしてその全てをかけてなお、簡単に命を落としてしまう。
そうした理不尽な自然環境の中で生きていくために、人類は社会というものを発明した。
こと生存という共通の目的に関して、個人ではなく多人数、集団でもって当たる。
集団で当たることによって食料の発見確率を上げ、獲得できる食料の量を増やし、その日1日で消費する分以上の食料、例えば3日分の食料を一日で集める。
例えば、シカを獲るのに一人では失敗する確率が高いが、複数人で罠なども仕掛けて当たれば、捕獲する確率は格段に上がるし、上手くすれば数も多く獲れる。
1日で3日分の食料が得られれば、向う2日は食料獲得ために働く必要がなくなるから、その2日を使って道具を作って、より容易に食料を獲得できる準備をしたり、安全な土地を見つけて安全な住居を作り、外敵や自然環境の変化による脅威からより効率的に自分たちの命を守る態勢を整えられる。
より食料が豊富な土地を見つけてそこに住居を移し、その付近の安全な土地に安全な住居を構えるための探索も行える。
こうした飢餓以外にも様々な脅威に対して生存のために必要な労働力と時間を節約できるようにしていく、すなわち生産性を高めるシステムとして、人は人間集団を基盤とした社会というものを形成していった。
社会を人の生存確率を高め、生存のために必要な労働力の削減(=安息時間の増加、食料獲得など生存関連活動における生産性向上)のためのものだと規定するなら、社会を形成する要因として重要なのは、まず人間、そしてその人間が持つ労働力、次いで土地、あるいは環境である。
集団行動によって様々な生存関連活動の生産性が向上するし、もともと自然の驚異(自然災害や猛獣の襲撃など)の危険が少なく、食料も豊富な環境があれば、さらに生存関連活動の生産性は向上するためだ。
特に先進国と呼ばれる国々での現代社会とは、先史時代から気の遠くなるような技術革新と膨大なインフラ建設によって、こうした生存関連活動の生産性が最大限に発展し、生活利便性が高まった高度なシステムであるということができる。