税も国債も財源じゃない。っていうか政府に財源は必要ないという話 | 門前小僧、習わぬ今日を読む

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反グローバリズム、反新自由主義、反緊縮財政。
アイコン,ロゴ画面はイラストレーターtakaさんより。
takaさんの詳細情報はブログ画面にて。

 

詰まるところ資本主義ってのは、

 

バラバラだと大したことができない規模の

カネやモノ、ヒトを一つに集めて大きな資本にして、

その資本を投じる(投資する)ことで

より大きな事業をやる

 

ってとこがミソだと思うんだけど、

このカネやモノ、ヒトを集めるときの

カネの出処のことを財源っていうわけでしょ。

 

カネ(金融資本)とモノ・ヒト(実物資本)をまず集めて、

集まったカネとモノとヒトを投資する

 

という流れにおいて、

 

一国の政府は

同国内で国内のモノやヒトを使って事業をやる場合、

少なくともカネを集める心配がいらない。

 

でもモノやヒト(人材)はパッと出せるわけじゃないから、

当然その制約は受ける。

 

財源と言うものをあえて想定するなら、

それは税でも国債でもなく政府そのものであって、

政府が無くならない限りは財源も無くならない。

 

つまり政府が存在する以上、

財源というものを考慮する必要がない。

 

 むしろ政府の財源としての機能を縛る

実物(ヒト・モノ)資本の方を考えて投資をする必要がある。

 

実物のキャパを超えて政府支出は出来ないし、

逆に言えば実物資本を増やせば政府支出のキャパシティは増える。

 

つまり政府がより多くの事業を出来たり、

より広い分野の投資が出来たり、

その分野で働く人の賃金が増えたりするという話。

 

まぁ賃金に関しては、

現状だと株主が横取りピンハネしてくるから上がらないんだけど。

 

という、

まとめると割とシンプルな話を今までしてきてるんだけど、

なかなか理解が得られない。