先達の回顧録・上 ~高度経済成長期の水道敷設~ | 門前小僧、習わぬ今日を読む

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反グローバリズム、反新自由主義、反緊縮財政。
アイコン,ロゴ画面はイラストレーターtakaさんより。
takaさんの詳細情報はブログ画面にて。

現役時代、水道の敷設や整備などの工事に関わっていたという患者さんの話。

この方は昭和40年代(1960年代後半)に就職して、

群馬県内各地で水道設備の充実に尽力されたとのこと。

当時は庶民生活向上を旗印に

水道設備が爆発的に拡大していった時期で、

それこそ月火水木金金といった勤務だったとか。

 

水道管の種類もいろいろで、

鉄のパイプにモルタルやらコンクリ、

ビニールをコーティングしたものなど色々あるけど、

当時は価格も安くて丈夫な

アスベストとコンクリを混合した素材が

よく使われていたそうだ。

 

まぁアスベストは水に溶け込むことは無いそうで、

飲水とかには問題ないけど、

加工とか工事に携わる人にとっては

そういうわけにもいかない。
 

その人は

「お陰で病気になっちゃったよ」

とあっけらかんと笑っていた。

 

さて、

 

当時は各自治体に

国から水道敷設のための補助金が出されていた。
 

もっとも、それも必要最低限の額。
 

水道設備の素材によってはコストも変わる。
 

高い素材を使いたければ、

あとは自治体の自腹でという話で、

結果としてコスパの高い

アスベスト+コンクリ素材が多用された。

 

その頃は、

特に田舎の場合は飲料水は井戸が主流だったけど、

既に水道設備が敷設されている地域でも、

水道管が鉄のまんまでサビが凄かったり、

陶器製で漏水が頻繁に起こったり、

亜鉛コーティングでやっぱりサビが浮いたりと

色々問題があり、

こうしたものも併せて交換が行われたそうだ。

 

こうして、

高度経済成長期に全国津々浦々に、

一斉に水道設備が敷設され、

それこそ爆発的に普及していった。


それから50年。
 

水道管の耐用年数はせいぜい40年で、

すでに交換の時期は過ぎているところが多い。
 

しかし、現在の自治体は予算不足のために

交換がほとんど進んでいないとのこと。

 

トンネルや橋、

道路などの交通インフラもそうだけど、

公的インフラが整備され

拡大していったのは高度経済成長期で、

その耐用年数は確実に予測できたはずなのに、

国のやる気といえばこの体たらく。

 

 


 

 

かつて国民生活向上を掲げた政府も、

それを維持する気はなかったかのようだ。

 

 

 

 

本来なら、

将来の耐用年数期限を見越して、

長期的に整備交換工事を行わなければならないというのに、

水道民営化だのとはしゃいでいる今の状況は、

絶望感しか湧いてこない。
 

施設の所有権を自治体に残す

コンセッション方式では、

設備の老朽化に企業が責任を持つことはない。

 

運営権云々以前に、

水道管が老朽化すれば漏水の原因になり、

最悪断水、つまり水が使えなくなる。
 

大規模な自然災害も起こらないのに

水が使えなくなるという事態も、

今後起こり得る話になってしまっているのに、

この危機感の無さたるや背筋が寒くなるレベルだ。

 

彼によると会社数自体は

高度成長期の頃が一番多かったそうで、

その後主に都市部で大企業が生まれ、

都市部では大企業が支店を持ち、

田舎の町村では地元の中小企業が

土地の水道事業を受け持つようになったとのこと。
 

群馬県内で大手は、

東京に本社を置くものも含めて10社程度だったそう。

 

そして、

水道が充実していくに伴い企業数も減少して行き、

バブル崩壊を受けて文字通り企業数は激減した。
 

彼によると、ピーク時の1/3程度にまでなったとのこと。


生き残ったのは、

敷設事業から整備メンテナンス事業に

上手く切り替えた企業だけ。

 

建設事業者数の推移を見ても、

ほぼ彼の言うとおりに推移しており、

彼の回顧は信ぴょう性が高い。

 

 

そして生き残った企業が

腕の良い技術者を潰れた企業から獲得していった。
 

まさに弱肉強食。
 

食事となる仕事も、

生き残った企業の総取り。
 

まぁそれ自体は仕方の無いことではあるかもだけど、

これによって水道の敷設事業の供給能力が

低下したことは否めない。

 

本来なら、

水道管の交換事業を逐次行えるような

長期的な計画が必要なはずだけど、

果たしてそれだけの供給能力が今の日本にあるのかどうか。


耐用年数40年という期間に甘え、

老朽化という問題を先送りどころか

見ないようにしてきたのでは無かろうか。

 

自治体による水道管の交換は

予算不足のために遅々として進んでいない

というが、果たしてそれだけの理由だろうか。
 

財政均衡、PB黒字化などとはしゃいでる間に、

供給能力は喪われていく一方だったし、

例え予算が組まれても

それに対応できる力がこの国に残されているかどうか。

 

結局、

安全保障という観点も無いままに

財政均衡緊縮財政などとはしゃいでる間に、

少しずつ足元の土台には亀裂が入り始めている。
 

断水の頻発するような社会で、

財政均衡が達成されたところで

誰も幸せにはならない。