“経世済民的”財政規律論③財源論②~国債財源論と財源論の是非 | 門前小僧、習わぬ今日を読む

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反グローバリズム、反新自由主義、反緊縮財政。
アイコン,ロゴ画面はイラストレーターtakaさんより。
takaさんの詳細情報はブログ画面にて。

さて、前回記事でも分かる通り、

実は“国債を財源とする”といった場合も、

この財源論に含まれます。

日本の場合、

通貨発行権を持つ主権通貨国であり、

なおかつ変動相場制を採用している上に、

100%自国通貨建ての国債を発行することが可能な国家

なわけですが、

日本において国債がどのように運用されているのかと言えば、

 

通貨を発行するプロセスの一部に

国債発行という過程が含まれている

 

に過ぎません。
 

いわば有利子の通貨(負債)を発行しているのと同じ、

つまり国債も無限に発行できるというわけで、

別に財源というわけではありません。

細かい話ではありますが、

国債を財源とする議論というのも、

国債の買い手がなくなってしまうと財政支出ができなくなってしまう

という話になってしまいます。
 

実際は、

日銀がある以上買い手がなくなるなどということはあり得ませんが、

国債発行がなくても

政府小切手の発行から銀行預金(マネーストック)の創出、

日銀による政府小切手と日銀当座預金との交換

によって財政支出は可能なわけですから、

国債財源論というのもあまり意味がないと言えるでしょう。

端的に言えば、

そもそも通貨発行権のある政府に財源など不要であり、

財源などはそもそも考える必要などないのだから、

財政制約にはなり得ません
 

国債発行に制約がある云々という国債財源論争も、

無意味とは言わないまでも些末な問題と言わざるを得ないでしょう。