虐待と逃亡と報復と | 門前小僧、習わぬ今日を読む

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反グローバリズム、反新自由主義、反緊縮財政。
アイコン,ロゴ画面はイラストレーターtakaさんより。
takaさんの詳細情報はブログ画面にて。

さて、私は最近「小説家になろう」というサイトの作品群をボチボチ読んだりしております。
 
ジャンルはファンタジー、ハイファンタジー。
 
まぁ私は遅読なので、二つ三つの小説を、ボチボチ飽きたら別のみたいな感じで平行して読んでいます。
 
あのタイトルの付け方って、アレもマーケティングなんですかね?
最近のAVでもよく見るタイトル付け。
 
簡単なストーリーがそのままタイトルになってるというパターン。
 
例を挙げると、
 
ブラックなパーティやら仕事場から解放されて、
異世界でチート能力でスローライフ
 
とか、
 
邪魔者・無能者扱いされて追い出された昔の仲間(パーティ)を、
チート能力で見返す
 
とか、
 
チート能力を持った魔王やら勇者やらが、チート能力を持ったまま生まれ変わって、
弱そうだとバカにしてくる低レベル冒険者やモンスター相手に無双する
 
とか、
 
使えない・地味とか思われてる職業や能力が、
実は極めると超便利で強い能力で、
次々現れる強敵相手に大活躍する話
 
とか。
 
そんな感じのが9割以上じゃないかな?
誇張でもなんでもなく。
 
まぁ、
今の世相をよく表してますよね
 
これは、
作品の作者がそういう経験や心情を持ってる、
というよりは、
そういう作品の方がよく読まれる(売れる)
ってことなんでしょう。
 
これらのタイトル全てに共通するモノは一つ。
 
いじめ、迫害、見下し
に対する
報復劇、あるいは逆転劇
 
こういった作品群が好まれるのは、
 
みんな何者かから
 
いじめられ、
迫害され、
見下されている
 
というのを肌で、
あるいは無意識下で、
感じているからなのでしょう。
 
以前、
藤井聡教授がラジオでSEKAI NO OWARIの曲を紹介したとき、
この曲に対して、私が小説群のタイトルを見たときと似たような感想を漏らしていらっしゃいました。

 

 

 

彼らは虐待されている
そして、彼らも虐待してしまうだろう
 
と。
 
その曲名は『RPG』。
 
まさしく、
Role(役割を)Playing(演じるような)Gameの中の世界でもなければ、
 
あるいは、
 
その役割が割り振られるような
架空の世界でもなければ
加えられる虐待から
逃れる術はない
 
とでも言うかのような世相。
 
逃れられなければどうするか。
 
戦うしかありませんよね。
 
ツイッターという手段は封じられましたが、
私は戦おうと思います。
 
今のところ、ブログだけですけどね。
 
戦いには、準備が必要です。
 
まぁ、無駄になるかもしれませんけど。