ついに博士課程2年目が始まりました。
モンテッソーリ教育の修士を終え
なんとなく惰性で飛び込んでしまった
博士の世界
『あれこれ考えるよりもまずはやってみる。』
そう自分に言い聞かせて始めてみたものの
蓋を開けてみると、錚々たる職業・ポジションの
アメリカ人のクラスメートたちとの時間は、
やはり尻込みすることが多くあります。
今週から始まった授業。
1回目のディスカッションポストがありました。
ディスカッションポストとは、オンラインの大学で
よく使われる生徒同士の意見交換の場。
母の在籍するPhDのプログラムでは
ライブの授業は週1日のため
ディスカッションポストがクラスメートとの
交流の場としてよく使われます。
これは修士の頃もよく使われた方法ですが
当時と明らかに違うのは
ディスカッションの質。
すでに大学で教鞭を執っている人たちが
多いこともあり、論文執筆が日常のクラスメート。
相変わらずノンネイティブが一人という中
やはり彼らの書く英語の質とは違いすぎる
自分のレベルに愕然とします
でも、ふと、考えてみました。
「果たしてこれは英語力だけの問題なのか。」
そう思ったときに、
頭を過ったのは「思考」という二文字。
クラスメートたちの書く英語が
単純に洗練されているということではなく
多方面からリサーチを行い、考え抜かれたものであるということ。
まさに博士課程とは思考の訓練の場なのだと感じました。
この先の長い道のりを考えると
不安に押しつぶされそうになる時も多いのですが
今浮かんだキーワードは「苦労という刺激」。
これは、敬愛するマリア・モンテッソーリ博士の言葉。
第一次世界大戦と、第二次世界大戦を生き抜き、
アムステルダムの家に戻れることになったとき
「苦労という刺激が足りない」と表現したモンテッソーリ博士。
激動の時代を生き抜いたモンテッソーリ博士の
言葉を借りること自体おこがましいのですが
母にとっても「苦労という刺激」は
日々生活する上で、実はとても
必要なものなのではないかと感じています。
博士課程のこの道のりは、自分にとってはまさに
「苦労という刺激」。
2年目も一歩一歩大切にいきたいと思います。
◆◆
本日開催のモンテッソーリ・ファーム 2周年記念オンラインセミナー。
大盛況に終わったと聞きました。
国内ではモンテッソーリ教育のエレメンタリーについて
学ぶ機会は皆無と言えますが、
そんな中、多くの方々の興味の的「算数教育」を
学ぶことのできたこの時間は
きっと大変貴重な時間だったのではないかと思います。
仕事中も気になって仕方がなかった今日のセミナー。
帰宅途中、「声が枯れるくらい頑張ってお話された」
というようこ先生からのLINEを拝読して
見逃し配信がなおさら待ちきれなくなっている母。
明日の朝読は、間違いなくこちら。
もしまだお手に取られていない方がいらっしゃったら
ぜひようこ先生の綴る
美しいモンテッソーリのエレメンタリーの世界を
存分に堪能してみてください
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