この10年、数多くのモンテッソーリ教師との出会いがありました。
全ての方に共通しているのは、とにかく温厚で気品があるということ。
どこか自分とはかけ離れすぎた存在だけに、憧れだけが増していく毎日。
未熟な自分の姿を晒すことは、非常に勇気のいることでした。
「子どもに感情的になってしまいます。モンテッソーリ教師の方々は感情的にはならないのでしょうか。」
そう打ち明けた時。
返ってきた答えは意外なものでした。
「もちろんなるわよ。私たちは皆人間だもの。生きていれば嬉しいこともあるし、悲しいこともある。当然イライラすることもあるし、泣きたい日だってある。でも、私たちが子どもに見せたいのは感情に蓋をすることではなく、どうやってこれらの感情に上手く付き合っていくかということ。」
自分の感情と上手く付き合うということ。
実は、これはモンテッソーリ教師養成講座を受講するまでは、あまり考えたことのないことでした。
自分はどういう時に反応をするのか…
もちろん子どもには怒りたくないし、イライラだってしたくない。
でも、どうすればそうならずに済むのか…。
実はこれには訓練が必要だとういことも初めてその時知りました。
まずは自分がどういう時に沸点が上がるのかを書き出すことから始まりました。
年齢が上がるごとに、もちろん、モヤモヤの対象は変わってきます。
けれども、自分が娘のどのような行動に心が反応するのかをあらかじめ自分自身で理解していると、それだけで少し抑止力になる気がしています。
子どもに感情的になる自分を覗く!?
もう一つモンテッソーリ教師たちがよく行うことは
自分を俯瞰するということ。
感情的になっている自分をもう1人の自分が上から見下ろす感覚というのでしょうか。
きっとどの親にとっても、我が子が誰かに叱責されている姿を見るのはつらいこと。
そんなイメージを持って見てみると、自分という人間に怒られている我が子を見るのは、一番辛かったりします。
ホームモンテッソーリのお手伝いでも、皆さんから案外多くいただくお声は、自分のお母様との関係。
「母は愛情は持ってくれていたと分かるのですが、厳しい人でした。」
自分が何に怒られたかということは記憶していなくても、その時母親に対して自分がどう感じたかということは、ずっと記憶しているもの。
たとえそれが我が子を想ってのことだったとしても、娘が大人になった時に、「厳しかった」という感情だけに支配されてしまうのは、やはり少し寂しいと感じてしまいます。
感情というのは、生き物。
当然毎日上がったり下がったりするもの。
自分の軸を持って、コントロールされ過ぎず上手に付き合っていくという意識。
もちろん毎回上手くいくことばかりではないですが、いつもこんな意識だけは持っていたいと感じています。
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