娘が2歳半の時に出会ったモンテッソーリ教育。
イヤイヤ期真っ最中だったあの暗黒の子育てから抜け出したいと辿り着いたのがこの教育法でした。
現在と比べるとかなり少なかったモンテッソーリ書籍をむさぼるように手に取り。
国内には「おうちモンテ」をしている方が見当たらず、海外のご家庭のホームモンテッソーリの様子をブログで知り。
NAMCのモンテッソーリ教師養成講座を申し込み…。
どんどんこの教育法に傾倒していくも…。
理想と現実のギャップに苦しみ始めます。
書籍で読んだ子ども像と我が子は別人。
大人に求められている姿勢と実際の自分を比べると、劣悪な人間にしか映らない自分。
「モンテッソーリなんて知らなければ良かった」
モンテッソーリ教育を知ったがゆえに、どんどん苦しくなっていく日々でした。
「子どもは1分1秒と成長していきます」
そんなことを言われても、仕事と育児でアップアップの毎日。
一体どこで時間を捻出して、環境設定なんて行えばいいのか…。
どこか時間にばかり追われて、何もできない自分が不甲斐なく、当時母が選択したことは
「モンテッソーリを封印すること」
でした。
…といっても、すでにモンテッソーリ教師養成講座は受講中だったため、この辛さをチューターにぶつける日々。
「今日も娘を怒鳴ってしまいました」
⇒お母さんも、人間だもの。感情があるってことを、きっと理解した瞬間だったかもしれないわね。
「ワークはNGだって分かっているけど、買ってしまいました」
⇒ワークは大人の準備も要らないし、とっても魅力的。自分たちもそれで育ってきたんだから、手が伸びるのは当たり前。
「モンテッソーリ教育と真逆の子育てをしています。モンテッソーリなんて知らなければ良かった」
⇒きっと、モンテッソーリ教育を知らなくても、素晴らしい子育てが出来たでしょうね。だって、世の中モンテッソーリ教育でなくても、素晴らしい子育てをしている人たちで溢れているんだから。
もう、どれだけ泣き言を言っても、1つも否定されることがないモンテッソーリアンのチューターからの励まし。これらの言葉を聞いて、モンテッソーリ教育とは決してベストな教育法でもなければ、皆が実践すべき教育法でもないということが分かりました。
だとしたら、モンテッソーリ教育とは何なのか。
世の中に数多くある教育法と比較すべきものではなく、また、誰しもが行うべきものでもない。
選択することを決めた家庭が取り入れればいいだけ。
教具をしっかりと揃えて実践する家庭もあれば、哲学だけを取り入れる家庭もある。
「こうしなければならない」という決まりは何一つないのだということに気付きました。
どこか、自分の中で理想だけが膨らみ、大人も子どももその理想に当てはめようとして苦しくなっていたあの頃。モンテッソーリ教育にてNGとされる事柄の背景を理解出来ないまま、自分の中で規制だけをどんどん増やし、どこか自分の心に背いている時間が母を苦しめていたのでした。
あれから10年。
当時2歳だった娘は、もう12歳。
0歳~12歳のモンテッソーリ教師資格、モンテッソーリの教育学修士を目指すようになるとは当時は予想も出来ないことでした。
そして何よりも驚いているのは、あれから10年経った今でもブログを書き続けていること。
情報の発信というよりも、日常をただ綴っているだけの記事ですが、こうして変わらずお付き合いいただいている皆さんがいることに、ただただ感謝しています。
◆◆
前回の記事では、たくさんの方に共感していただき、とても嬉しかったです。
地球の偉大さを感じながらも、いつも美しいことばかりではないことを実感。
相次ぐ豪雨被害に心を痛めています。
被害に被られた方々に謹んでお見舞い申し上げます。
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