小4娘の『2歳からのホームモンテッソーリ♡ときどき英語』。
よろしければ自己紹介もご覧ください。
我が家がモンテッソーリ教育と出会ったのは娘が2歳半の時。イヤイヤ期の真っ最中、お願いだからこの暗闇から救ってほしい…と藁にもすがるような思いだったあの頃。そんな時に出会ったのがモンテッソーリ教育でした。
今思うと、あの時の母は、2歳児を完全に間違って捉えていました。
急におしゃべりも増え、言葉によるコミュニケーションが活発化していた時期。
当然伝わっていると思い、あれこれ要求。
とことん伝わっているはずの娘。
母の要求なんて全く聞いていません。
でも今思うと、娘が聞いていたのは母の声ではなく、子どもの中に定められた自然の発達のプログラム。
「最近自我が出てきて悪さばかりするの。」
そんな風に我が子を描写したことが何度あったでしょうか。
1歳の時とは違い、急に活動範囲も広がり、言語の発達も著しい2歳という年齢。
そこに、英語がプラスされていた我が家では、当然この娘の成長を何とか促進したいと、親の期待がどんどん膨らんできます。
英語の勉強、ひらがなの勉強、数の勉強と知育面。
良い習慣作りをと躍起になっていた生活面。
今思うと、母が最も注力していたのは、どうやって母の期待を実現させるか…。
モンテッソーリ教育に出会った後でさえも、このガチガチになった固定観念をなくすことが出来ませんでした。なぜなら、当時の母は、モンテッソーリ教育の中でも見たい要素だけに焦点を当てていたからです。
「モンテッソーリ教育を受けると、幼稚園生でもうかけ算とわり算が出来るんだって。」
心弾ませながら、親友にそう話した日を今でも忘れません。
もし、今あの時に戻って自分に声をかけるとしたら…。
イヤイヤ期の子を持つ親として最も必要なこと。
それは「大人側の準備」だと思います。
子どもを動かすのではなく、大人が生まれ変わらなければならない。
ここが、モンテッソーリ教育の第一関門だと思っています。
母の場合は、まず「教育」そのものの捉え方を考え直すところからスタートしなければなりませんでした。
我が子に望むのは2歳でひらがなが書けることなのか。
それとも、学びを自ら楽しむことができる心を育てることなのか。
モンテッソーリ教育における「教育」とは一方通行の知識を注ぐことではなく、子どもの好奇心とマッチする環境を整えること。そして大切なのは自己教育の力が備わっている子どもを信じること。
何よりも心に留めておくべきことは、大人は子どもの手本になる存在であるということ。
だからと言って、大人に完璧さは全く求められていません。沢山の失敗を繰り返す中で、どう少しずつ成長していけるか。求められているのは意識の部分です。
母親歴10年になろうとしている今でも、余りにも未熟な自分に嫌気がさすことが数えきれない日々ですが、そんな完璧ではない部分もすべて受け入れてくれるのが子ども。毎日笑顔でお母さんがいられることほど、子どもへの最大のギフトはないのだと思います。
先日娘とぶつかった時、
「ママはもっといいママになりたい。」
と伝えると
「それ以上いいママになってどうするのよ。」
と涙を流しながら訴えてきた娘。
世界中の子ども達の心を代弁した生涯忘れられない言葉です。
ご訪問、誠にありがとうございます