Progress Reportと呼ばれる成績表が、保持教室から届きました。
通い始めて4年目となる今年。これほど良い成績が付いたのは初めてです。リーディング、ライティングの両講師の方たちからも、大きな成長が見られた学期というお褒めの言葉をいただきました。
さぞ喜ぶかと思いきや、当の娘はちらっと見るだけで、全くの無反応。
賞罰の概念が存在しないモンテッソーリ教育に触れてきた彼女。
だから、彼女にとって成績とはただの数字…となるかと期待していた気持ちは、小学校入学と共に全く裏切られました。
『100点を取れたら嬉しい、そうでなければ悔しい』
母の想いとは全く逆方向の想いへと進み始めていた小学校生活。
けれども、最近、娘自身に変化が起き始めています。
それは「感じること」。
物差しで外から測られたものよりも、自分がどう感じたか。
そんな想いが徐々に芽生え始めているようです。
今年に入り、自分の英語力を客観的に見つめだした彼女。
その結果、以前のエントリー「消化不良の保持教室の英語に悩む」で触れた通り、彼女自身がいかに日頃の英語学習が消化不良であるかを気づき始めています。
今までは、消化不良であるなんて感情とは無縁だった娘。
ここに気付いているがゆえに、今回の成績は彼女にはただの数字にしか見えず、決して喜びをもたらすものではなかったようです。
この自分自身が「感じる」という行為は、生きる上でとてつもなくパワフルなもの。
他人の評価ではなく自分がどう感じるか。
今回の成績が良かったとしても、それは決して彼女の感じた心とは一致したものではなかったのでしょう。
今まで一喜一憂してきた成績というものが、どこか新たな次元へと変わりつつあるこの頃。
しっかりと見守りたいと思います。
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